第83番 神毫山 一宮寺

83番一宮寺

名称 神毫山 大宝院 一宮寺
御本尊 聖観世音菩薩
所在地 香川県高松市一宮町607 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん あろりきゃ そわか

【御詠歌】
讃岐一宮の御前に仰ぎ来て 神の心を誰かしら言ふ

【略縁起】
寺伝によれば、大宝年間(701~04)義淵僧正が開創し、年号をとって大宝院と号した。和銅年間(708~15)行基菩薩によって讃岐一宮・田村神社の別当に定められ、寺号も一宮寺に改められたという。大同年間(806~10)弘法大師が伽藍を整え、聖観世音菩薩の像を刻んで本尊とした。延宝7年(1679)高松藩主・松平頼常によって別当職を解かれ、現在に至る。

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一宮寺の納経(御朱印)

  • 83番一宮寺の納経

    (1)

  • 83番一宮寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は聖観世音菩薩の種字「サ」に「聖観音」。中央の宝印は円に聖観音の種字「サ」と蓮華座。右上の印は「四国八十三番」、左下は「讃岐国一宮寺」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 83番一宮寺の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納妙典」「四国八十三番」「サ(聖観音の種字)正観世音宝前」「讃州神毫山」「一宮寺」。正観音は聖観音と同じ。中央上の宝印は勅願所であることを示す十六菊の御紋。右上の印は「四国八十三番」、左下は「大宝院■」。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊正観世音」「讃州神毫山」「一宮寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「讃州」「一宮寺大悲殿」「綱維」。綱維は一般の僧を監督・指導する僧のこと。中央の宝印は円の中に聖観音の種字「サ」と蓮華座。右上の印は「四国八十三番」、左下は「大宝密院」。

一宮寺について

山号 神毫山(しんごうざん)
寺号 一宮寺(いちのみやじ)
院号 大宝院(だいほういん)
御本尊 聖観世音菩薩
所在地 香川県高松市一宮町607番地
創建年代 大宝年間(701~04)
開山 義淵僧正
宗派等 真言宗御室派

覚え書き

寺伝によれば、大宝年間(701~04)義淵僧正の開創で、年号をとって大宝院と称したという。義淵僧正は行基菩薩や玄昉・良弁などの師であり、岡寺などを建立したことで知られる。
和銅年間(708~15)諸国に一宮が定められ、讃岐では田村神社が一宮となった。この時、行基菩薩によって当寺が別当に定められ、寺号も一宮寺に改められたという。
大同年間(806~10)弘法大師が留錫し、堂宇を補修するとともに、聖観世音菩薩像を刻み、本尊として安置したと伝えられる。
現在の研究では、一宮の成立は和銅年間には遡らず、平安後期と考えられているので、一宮寺の寺号もそれ以降のものであろう。とはいえ、和銅年間ということについては、田村神社の社伝では和銅2年(709)に社殿が建立されたとしているので(それ以前は、本殿の御神座の下にある定水井で祭祀が行われていた)、伝承の根拠があるのかもしれない。
天正年間(1573~92)長宗我部の兵火により焼失したが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再建される。
延宝7年(1679)高松藩主・松平頼常により別当職を解かれ、田村神社は唯一神道となった。因みに頼常は徳川光圀の子であり、光圀は水戸藩において神仏分離を行っている。
境内にある一宮御陵は孝霊天皇・百襲姫命・五十芹彦命の供養塔とされる。百襲姫命と五十芹彦命は田村神社の御祭神、孝霊天皇は百襲姫命と五十芹彦命の父君である。
また、石でできた薬師如来の祠があり、中に首を突っ込むと地獄の釜の音が聞こえるという(ゴーッという音がする)。罪の深い人は、石の扉が閉まって、首が抜けなくなると伝えられている。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 一宮御陵

    一宮御陵

  • 薬師如来祠

    薬師如来祠

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂


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