第85番 五剣山 八栗寺

85番八栗寺

名称 五剣山 観自在院 八栗寺
御本尊 聖観世音菩薩
所在地 香川県高松市牟礼町牟礼3416 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん あろりきゃ そわか

【御詠歌】
煩悩を胸の智火にて八栗をば 修行者ならで誰か知るべき

【略縁起】
寺伝によれば、延暦23年(804)弘法大師が聖観音を本尊として一寺を建立し、山頂から四方の八ヶ国がよく見えることから八国寺と名付けたという。そして、渡唐の無事を祈願し、その成功を試みるために8個の焼き栗を埋めた。天長6年(829)唐より帰国した大師は再びこの山に登り、虚空蔵求聞持法を修したところ、天から五柄の剣が降り、金剛蔵王権現が現れて託宣を下した。そこで剣を五つの峰の中腹に埋めて五剣山と号し、8個の焼き栗が芽を吹いて成長していたことから寺号を八栗寺と改めたという。

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八栗寺の納経(御朱印)

  • 85番八栗寺の納経

    (1)

  • 85番八栗寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「本尊正観音」。中央の宝印は聖観世音菩薩の種字「サ」。右上の印は「四国八十五番」、左下は「五峯」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊正観世音大悲殿」「五剣山」「八栗寺庫」。中央の宝印はない。右上の印は「八十五番」、左下は「五峯」。

(2)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊正観世音大悲殿」「東讃五剣山」「八栗寺庫」。中央の宝印はない。右上の印は「四国八十五番」、左下は現在のものとほぼ同じ「五峯」。

八栗寺について

山号 五剣山(ごけんざん)
寺号 八栗寺(やくりじ)
院号 観自在院(かんじざいいん)
通称 八栗聖天
旧称 八国寺
御本尊 聖観世音菩薩
所在地 香川県高松市牟礼町牟礼3416番地
創建年代 天長6年(829)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗大覚寺派

覚え書き

五剣山の中腹に伽藍が建つ。歩くと急な坂道を登ることになるが、現在はケーブルカーで簡単に登ることができる。
五剣山は、山頂が五つの峰に分かれていたことに因むが、宝永3年(1706)の大地震で東の一峰が崩れ、現在は四つの峰が残っている。
延暦23年(804)弘法大師が堂宇を建立し、聖観世音菩薩を安置したのが始まりと伝えられる。山頂から四方を見ると八ヶ国が見えることから「八国寺」と号したとされる。大師は入唐求法の心願成就を祈願するとともに、その成功を試みるために焼き栗8個を埋めたという。
天長6年(829)唐から帰朝した大師は再びこの山に登り、求聞持法を修した。満願の日に天から五柄の剣が降り、金剛蔵王権現が現れて託宣を降した。そこで剣を五つの峰の中腹に埋め、五剣山と名付けた。また、8個の焼き栗がすべて芽を吹き、成長していたことから寺号も八栗寺と改めたという。
この寺も天正年間(1573~92)長宗我部の兵火により全山焼失した。文禄年間(1592~96)無辺上人によって再興され、その後、高松藩主の松平頼重・頼豊が諸堂を再建し、藩の祈願所とした。
ところで、当寺の縁起は71番弥谷寺の縁起と非常によく似ており、それに因む山号も五剣山と剣五山と文字の順序が違うだけである。元の寺号を八国寺とすることも共通。現在の八栗寺の院号は観自在院だが江戸時代には千手院と号しており、これも弥谷寺と同じである。このことは『四国徧礼霊場記』でも寂本阿闍梨が指摘しているが、その理由についてはよくわからない。
八栗寺は「八栗の聖天さん」と呼ばれるように、聖天(歓喜天)の霊場としても信仰を集める。本堂の斜め前に建つ聖天堂には、弘法大師作と伝えられ、木食以空上人が後水尾天皇の皇后・東福門院より賜った聖天(歓喜天)が祀られている。また、中将坊堂には、五剣山を守護する天狗の八栗山中将坊を祀る。

写真帖

  • 仁王門

    仁王門

  • 境内

    境内

  • 聖天堂

    聖天堂

  • 大師堂

    大師堂と多宝塔

  • 本堂

    本堂


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