第18番 母養山 恩山寺 | 徳島県小松島市

18番恩山寺

聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したとされ、女人禁制の道場であった。弘法大師がここで修行しているとき、母の玉依御前が訪れた。そこで、一七日の秘法を修して女人禁制を解き、母を迎えて孝養を尽くしたという。玉依御前はここで得度剃髪したと伝えられ、境内には玉依御前の髪を納めた御母公堂がある。

名称 母養山 宝樹院 恩山寺
御本尊 薬師如来
本尊真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌 子を生めるその父母の恩山寺 訪らいがたきことはあらじな
所在地 徳島県小松島市田野町40 [Mapion|googlemap]
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目次

恩山寺の納経(御朱印)

恩山寺の納経
(1)
18番恩山寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は火炎宝珠に梵字「バイ」。右上の朱印は「四国第18番」、左下は「恩山寺」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「バイ(薬師如来の種字)本尊薬師如来」「阿州母養山」「恩山寺」「行者丈」。中央に宝印はない。右上の朱印は「四国第十八番」。左下の「恩山寺」の印は現在のものとほぼ同じ。

(4)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納大乗妙典」「本尊薬師瑠璃光如来」「阿波母養山」「恩山寺」。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」、この年から押すようになったのだろうか。右上、左下の朱印は天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊薬師如来」「弘法大師御母公剃髪所」「母養山」「恩山寺」。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の朱印は「四国第十八番」、左下は「恩山寺」。

略縁起

もとは大日山福生院密厳寺といい、聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開いたと伝えられる。当時は女人禁制の道場であったという。

弘法大師がこの寺に留錫中、大師を慕って母公・玉依御前が訪れた。大師は、山門で一七日の修法を行って女人禁制を解除した。そして、母公を迎え入れて孝養を尽くし、母公はここで得度剃髪したという。そこで大師は山号を母養山、寺号を恩山寺と改め、自刻の像を安置したと伝えられる。

大師堂脇の御母公堂は、玉依御前が剃髪されたところで、その髪を納める。また、徳島県の天然記念物である毘蘭樹(ビランジュ)は、大師が母公の得度を記念して植えたものと伝えられる。

天正年間(1573~92)の兵火で焼失したが、蜂須賀家政によって再建された。現在の本堂や大師堂は文化・文政年間(1804~30)の建立という。

恩山寺の奥の院は、小松島市金磯町の金磯弁財天である。

写真帖

参道
参道
大師堂と御母公堂
大師堂と御母公堂
本堂
本堂

恩山寺の概要

山号 母養山(ぼようざん)
寺号 恩山寺(おんざんじ)
院号 宝樹院(ほうじゅいん)
旧称 大日山 福生院 密厳寺
御本尊 薬師如来
所在地 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40番地
創建年代 天平年間(729~49)
開山 行基菩薩
宗派等 高野山真言宗
文化財 〈県天然記念物〉ビランジュ

交通アクセス

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