名称 | 金華山 高照院 天皇寺 |
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御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
所在地 | 東京都坂出市西庄町1713-2 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
おんまか きゃろにきゃ そわか
【御詠歌】
十楽の浮世の中をたずねべし 天皇さえもさすらいぞある
【略縁起】
元の札所は崇徳天皇社(現・白峰宮)で、摩尼珠院が別当であった。寺伝によれば行基菩薩の開創とされる。弘法大師が霊木で十一面観音と阿弥陀如来・愛染明王を刻み、伽藍を再興して摩尼珠院妙成就寺と号した。長寛2年(1164)讃岐に配流された崇徳上皇が崩御されると、都からの指示を待つ間、御尊体を八十場の霊泉に浸して保存した。その間、付近の霊木に神光があったため、二条天皇の勅により上皇を祀る廟(崇徳天皇社)が建てられ、摩尼珠院がその別当となった。明治の神仏分離により摩尼珠院が廃寺となり、筆頭末寺の高照院が札所を引き継いだ。
天皇寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「十一面尊」。中央の宝印は宝珠に十一面観音の種字「キャ」か。右上の印は「四国七十九番」、左下は「天皇寺」。
(2)平成19年拝受の納経。揮毫は十一面観音の種字「キャ」に「大悲殿」。朱印は平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊十一面観世音」「崇徳天皇御鎮座所」「讃岐国金花山」「摩尼珠院」「行者丈」。中央上の宝印は勅願所であることを示す十六八重菊の御紋。右上の印は「四国七拾九番」、左下は「摩尼珠院」。
(2)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。朱の版木押しで「奉納経」「本尊十一面観音」「弘法大師霊場」「讃岐国高照院」。中央の宝印はない。右上の印は「四国七十九番」、右下の印は「真言宗教導職受持印」のようである。
天皇寺について
山号 | 金華山(きんかざん) |
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寺号 | 天皇寺(てんのうじ) |
院号 | 高照院(こうしょういん) |
旧称 | 奇香山仏乗寺高照院 |
旧札所 | 白峰宮(崇徳天皇社)・金華山妙成就寺摩尼珠院(廃寺) |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
所在地 | 香川県坂出市西庄町天皇1713番地2号 |
創建年代 | 天平年間(729~49) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 真言宗御室派 |
覚え書き
崇徳天皇を祀る白峰宮の朱塗りの三輪鳥居をくぐると、参道の左側に天皇寺高照院の本堂と大師堂、右側に本坊(および納経所)がある。四国霊場の中でも複雑な経緯をたどった札所の一つである。江戸時代までは、崇徳天皇社(現在の白峰宮)が札所で、金華山妙成就寺摩尼珠院が別当として納経を司っていた。
霊場としての淵源は、白峰宮の西50mほどのところにある「八十場〔やそば〕(弥蘇場・八十蘇場)の霊泉」である。景行天皇の御代、南海の悪魚退治を命じられた讃留霊王〔さるれいおう〕(日本武尊の子・武穀王〔たけかいこおう〕)が、八十八人の部下とともに悪魚の毒から蘇生したという伝説がある。
寺伝によれば、妙成就寺は天平年間(729~49)行基菩薩によって金山の中腹に開創されたと伝えられる。
弘仁年間(810~24)弘法大師が四国を巡錫中に八十場の霊泉へ来ると、金山権現が現れて宝珠を託し、この山で仏法を守護することを誓った。そこで大師は宝珠を峯に埋め、伽藍を再興して妙成就寺摩尼珠院と号した。そして、霊木で本尊の十一面観音と脇侍の阿弥陀如来・愛染明王を刻んで安置するとともに、石に薬師如来像を刻み、金山の水源に安置したという(金山の薬師)。
保元の乱に破れ、讃岐に流された崇徳上皇は、当地からほど近い雲井御所〔くもいごしょ〕に滞在し、その後、国庁の木丸殿〔このまるでん〕に移られたが、しばしば摩尼珠院を訪れたという。
長寛2年(1164)8月、上皇が崩御されると、都からの指示が来るまでの約20日間、御尊体を八十場の水に浸して保存した(水上に安置したともいう)。その後、白峰山上で荼毘に付され、白峯寺に御陵が営まれたが、その間、八十場の霊泉近くの霊木に神光があった。そこで、二条天皇の宣旨により、その場所に上皇を祀る廟を建立し、摩尼珠院を別当とした。摩尼珠院は天皇ゆかりの寺ということで、天皇寺と称されるようになった。
崇徳天皇社・摩尼珠院は高倉天皇・土御門天皇・後嵯峨天皇など歴代天皇や源頼朝をはじめとする武将から深い尊崇を受け、社殿の造営や社領の寄進がたびたびであったという。
なお、澄禅の『四国辺路日記』によれば、「弘法大師御定ノ札所」は金山の薬師だという(現在の奥の院・瑠璃光寺)。ところが中古以来、妙成就寺・崇徳天皇社が栄えて、大きな伽藍を誇っているため、事情を知らない遍路が崇徳天皇社を札所だと思うようになり、札所とされるようになったとする。
明治の神仏分離により、崇徳天皇社は白峰宮となり、摩尼珠院は廃寺となった。そこで筆頭末寺の高照院が本尊と79番札所を継承した。高照院は林田村(坂出市林田町)にあって奇香山仏乗寺と号し、本尊は薬師如来であった。
明治20年(1887)摩尼珠院跡の現在地に移転して金華山天皇寺の法灯を再興した。登記上の正式名称は現在でも高照院であるため、標識等には「天皇寺高照院」と表記されることが多い。
天皇寺の奥之院は城山不動滝もしくは瑠璃光寺(金山の薬師)である。