駒込天祖神社は駒込の総鎮守。社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐に向かう途中、松の木に幣が掛かっているという霊夢を見た。そこで安達盛長に探させたところ、当地で松の枝に大麻が掛かっているのを発見したので、神明宮を勧請したという。慶安年間(1648~52)堀利直が再興した。
正式名称 | 天祖神社〔てんそじんじゃ〕 |
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通称 | 駒込天祖神社〔こまごめ てんそじんじゃ〕 |
御祭神 | 天照皇大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都文京区本駒込3-40-1 [Mapion|googlemap] |
御朱印
平成17年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに「天祖神社」。
御由緒
駒込天祖神社は駒込の総鎮守で、江戸時代以前は駒込神明宮と称した。旧別当は本山派修験の松光山大泉院(廃寺)。
社伝によれば文治5年(1189)源頼朝が奥州征伐に向かう際、当地で松の枝に幣が掛かっているという霊夢をいただき、安達藤九郎盛長に伊勢神宮祈願の地を求めさせたところ、松の枝に大麻が掛かっていた。そこで頼朝はこれを拝し、神明宮を勧請したという。
その後、いつしか祭祀は中絶し、神木の松の根元に祠があるのみになっていたが、慶安年間(1648~52)堀丹後守利直によって再興された。
『江戸砂子』によれば、頼朝縁の松は直径4尺(約1.2m)あったが、享保年間(1716~36)に枯れてしまったという。
この社伝は、平安時代末期から関東地方に伊勢神宮の御厨が成立しはじめ、外宮の渡会光親が源頼朝のために祈祷したことに基づくものであろうというが、それ以前から祀られていたかもしれないともいう。
『新編武蔵風土記稿』には「神明社」とあり、八幡・春日を合祀していたという。御神体の台座には「高耀山長元寺八世日寛」と記して花押があり、八幡・春日の台座にも「日寛」と記されていた。長元寺は日蓮宗で駒込肴町(現・向丘2)にある。
明治になり、天祖神社と改称した。明治5年(1872)村社に列格。現在の社殿は昭和29年(1954)に再建されたものである。
写真帖
メモ
都立駒込病院の北側に西面して鎮座する。本郷通りから区立第九中学校の北の道を東に進むと一の鳥居があり、さらに参道を直進すると白い神明造の社殿が建っている。東西に細長い境内で、周囲は住宅街ではあるが、参道の両側・社殿の周囲には木が繁り、鎮守の森の雰囲気を保っている。
天祖神社の概要
名称 | 天祖神社 |
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通称 | 駒込天祖神社 |
旧称 | 神明宮 駒込神明宮 |
御祭神 | 天照皇大神〔あまてらすすめおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都文京区本駒込三丁目40番1号 |
創建年代 | 文治5年(1189) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日・16日 |
神事・行事 | 1月15日/春季中祭 5月15日/夏季中祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□東京メトロ南北線「本駒込駅」より徒歩11分
□都営三田線「千石駅」より徒歩15分
□JR山手線・東京メトロ南北線「駒込駅」より徒歩16分、またはバス
■都バス秋葉原駅前行き「駒込富士前」下車徒歩3分