PR

宇迦八幡宮 | 東京都江東区

宇迦八幡宮

享保8年(1723)近江屋庄兵衛が幕府に願い出、深川洲崎十万坪と呼ばれた当地を開発して千田新田を開いた。その頃、当社は小さな祠だったが、庄兵衛が神殿を建立して千田新田の鎮守とした。田畑に穀物が実らないため当社に祈願したところ、お告げを受けて片栗を栽培し、農民の飢えを救った。これにより片栗八幡宮と通称されるようになったという。

正式名称 宇迦八幡宮〔うかはちまんぐう〕
御祭神 宇迦之御魂命 応神天皇
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都江東区千田12-8 [Mapion|googlemap]
江東区の神社
東京都江東区の神社の御朱印。富岡八幡宮・亀戸天満宮・深川神明宮・大島稲荷神社・亀戸香取神社・猿江神社・志演尊空神社・洲崎神社・江東天祖神社・富賀岡八幡宮・愛宕神社・宇迦八幡宮・亀戸浅間神社・東大島神社
スポンサーリンク

御朱印

  • 宇迦八幡宮の御朱印

    (1)

  • 宇迦八幡宮の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「宇迦八幡宮」。

(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は神璽。右下に「江東八景 宇迦八幡宮」のスタンプ。左下の「宇迦八幡宮」の印は平成17年のものと同じ。

御由緒

このあたりはもともと干潟で、江戸市中から出たごみの埋め立て地であった。広重の浮世絵「深川洲崎十万坪」にその名を残す「十万坪」である。

享保8年(1723)近江屋庄兵衛は幕府に願い出、3年間を費やして当地を開発した。新しく開かれた村は、庄兵衛の名字である千田をとって千田新田と名付けられた。後に村全体が一橋家の領地になったので、一橋領十万坪とも呼ばれたという。

その頃、当社は小さな祠であったが、庄兵衛が社殿を建立して千田神社と称し、当地の鎮守とした。また、田畑に作物が実らないため、当社に祈願をしたところ、お告げを受けて片栗を栽培し、農民の飢餓を救ったということから片栗八幡宮とも呼ばれる(『新編武蔵風土記稿』には稲荷八幡合社とある)。

旧社殿は昭和20年(1945)の空襲で焼失したが、同27年(1952)元の社殿と同形式の社殿を再建した。また同年、社号を稲荷神社(通称・千田稲荷神社)から宇迦八幡宮と改めた。

社殿の脇に珍しい六角形の石の宝塔がある。高さは約3mで、大日・阿弥陀・釈迦・薬師・観音・勢至の六体の仏が彫られ、台座には「妙法華経千部供養塔」とある。もともと永代寺に奉納されていたが、明治維新で廃寺となったため移転し、宇迦八幡宮が再建された際、現在地に移された。江東区の登録文化財である。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 石造六角宝塔

    石造六角宝塔とみがわり地蔵

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

メモ

戦後の再建ではあるが、風格のある権現造りの社殿。六角宝塔の隣にまだ新しい石の「みがわり地蔵」が祀られているのが珍しい。水子供養のための参拝が多いとのことである。

宇迦八幡宮の概要

名称 宇迦八幡宮
旧称 稲荷八幡合社 片栗八幡宮 稲荷神社 千田稲荷神社 千田神社
御祭神 宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕
応神天皇〔おうじんてんのう〕
鎮座地 東京都江東区千田12番8号
創建年代 享保年間(1716~36)
社格等 旧無格社
例祭 8月中旬
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月15日/護摩木祭
2月節分/節分祭
6月30日/大祓祭
7月13日/御霊祭
11月15日/七五三祭
12月31日/大祓祭・除夜祭

交通アクセス

□東京メトロ半蔵門線・都営新宿線「住吉駅」より徒歩約10分
□JR総武線「錦糸町駅」よりバス
■都バス東22系統東陽町駅行き「扇橋二丁目」下車徒歩約3分
□東京メトロ東西線「東陽町駅」よりバス
■都バス東22系統錦糸町駅行き「扇橋二丁目」下車徒歩約3分

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
タイトルとURLをコピーしました