代々木八幡宮

代々木八幡宮

正式名称 代々木八幡宮〔よよぎはちまんぐう〕
御祭神 応神天皇
社格等 旧村社
鎮座地 東京都渋谷区代々木5-1-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.yoyogihachimangu.or.jp/

【由緒概要】
社伝によれば、建暦2年(1212)代々木野に隠棲していた鎌倉幕府の二代将軍源頼家ゆかりの武士・荒井外記智明が八幡大神の託宣を受け、鶴岡八幡宮を勧請したことに始まるという。旧別当・福泉寺三世の長秀法師の時、紀州家側室・延寿院の寄進を受け、現社地に遷座した。

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代々木八幡宮の御朱印

  • 代々木八幡宮の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「代々木八幡宮」、右上は「武蔵國代々木野」、左下は白抜きで「八幡神」。

代々木八幡宮について

名称 代々木八幡宮
旧称 八幡神社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
〈配祀〉
天照大神〔あまてらすおおみかみ〕(天祖社)
白山媛之命〔しらやまひめのかみ〕(白山社)
鎮座地 東京都渋谷区代々木五丁目1番1号
創建年代 建暦2年(1212)
社格等 旧村社
例祭 9月22日・23日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月1日~10日/児童書初め展
2月1日/もちつき大会
2月3日/節分祭
2月初午の日/白玉稲荷初午祭
旧2月初午の日/出世稲荷初午祭
5月23日/五社宮祭
5月第4日曜日/金魚まつり
6月30日/大祓式
9月25日/銀杏天神社例祭
12月30日/大祓式

御由緒

旧代々木村の鎮守。

社伝によれば、鎌倉幕府の2代将軍・源頼家の側近・近藤三郎是茂〔こんどう さぶろう これもち〕に荒井外記智明〔あらい げき ともあきら〕という家来がいた。修善寺事件で頼家が暗殺された後、代々木野の地に隠棲していたが、建暦2年(1212)8月15日の夜、夢に八幡大神が現れ、託宣と宝珠のような鏡を感得した。そこで名を宗友と改め、同年9月23日、元八幡の地に鶴岡八幡宮を勧請した。これが代々木八幡宮と旧別当・宝珠山福泉寺の開創という。

創建以来、福泉寺の社僧によって奉仕され、正保元年(1644)住職の伝誉(伝養律師)が浄土宗から天台宗に改め、中興開山となった。2世乗正律師の時に社殿・堂宇を再建した。

3世長秀法印の時、四谷日谷の火葬場が千駄ヶ谷を経て代々木村に移転することになり(現在の代々幡斎場)、これに伴って遷座を余儀なくされた。この時、大和国岩掛城主・山田政秀の六女で紀州藩主・徳川頼宣の側室であった延寿院殿が甥の長秀法印のために社地6,000坪をはじめとする寄進を行い、現在地に遷座することができた。

明治維新の神仏分離令により福泉寺から独立、村社に列格した。

明治33年(1900)村内の天祖社と白山社を本殿に合祀、また堀出し稲荷と銀杏天神社、榛名社を別宮として併せ祀った。

この五社の祭礼を五社宮祭と称するが、明治から大正の頃は通称「金魚まつり」として5月6日に行われ、府中大国魂神社のくらやみ祭を終えた露天商たちが甲州街道を引きあげる途中、ここで残りの荷をさばいて大変賑わったという。大正の初め頃に途絶えたが、平成15年(2003)地元有志の尽力により復活した。

写真帖

  • 参道

    参道

  • 遺跡

    代々木八幡遺跡(竪穴式住居)

  • 決別の碑

    決別の碑(石灯籠)

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    境内社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

境内から縄文時代の土器や住居跡が発見され、代々木八幡遺跡として区の史跡に指定されている。住居跡には竪穴式住居が復元されている。
手水舎のそばにある決別の碑は、代々木練兵場ができる際、移住をすることになった住民たちが別れを惜しみ、決別の言葉を刻んだ石灯籠である。
また、末社の代々木出世稲荷は、先の大戦の空襲のために焼けてしまい、祀られなくなった氏子地域のお稲荷さんを集め、境内に合せ祀ったものという。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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