名称 | 白水山 医王院 平等寺 |
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御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 徳島県阿南市新野町177 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.byodoji.jp/ |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる
【略縁起】
弘法大師が当地を訪れた時、空中に五色の雲がたなびいて黄金の梵字が現れ、それが薬師如来の姿に変わった。これを見た大師は修法を行うこととし、そのための水を求めて地面を錫杖で掘った。すると乳白色の水が湧き出したので、その水で沐浴して百日間の修法を行った。行を終えた後、薬師如来を本尊として一寺を建立し、白水山平等寺と名付けたという。
平等寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の朱印は「四国二十二番」、左下は「阿波国白水山平等寺」。
(2)平成18年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊厄除医王善逝(※医王善逝は薬師如来の別名)」「阿波白水山」「平等寺知事」。中央に宝印はない。右上の朱印は卒塔婆に薬師如来の種字「バイ」と「廿二番」。左下は「覚」のようだが、判読できない。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来宝前」「阿州白水山」「平等寺」。朱印は天保11年のものと同じで、中央の宝印はない。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉」「薬師如来」「平等寺」。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の朱印は「二十二番」、左下は「阿波国白水山平等寺」。
平等寺について
山号 | 白水山(はくすいざん) |
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寺号 | 平等寺(びょうどういん) |
院号 | 医王院(いおういん) |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 徳島県阿南市新野町秋山177番地 |
創建年代 | 弘仁5年(814) |
開山 | 弘法大師 |
宗派等 | 高野山真言宗 準別格本山 |
文化財 | 〈県有形文化財〉紙本金地著色秋草図(襖貼付) |
覚え書き
厳しい山寺が続いた後の平地の寺はホッとする。とはいえ、本堂の前には急な石段があるのだが。21番太龍寺と23番薬王寺のほぼ中間にあることから、昔はここで宿泊する遍路が多く、門前は遍路宿で賑わっていたという。
弘法大師が当地に巡錫した折、空に五色の霊雲が棚引き、その中に梵字の「バン」(金剛界大日如来の種字)が現れ、さらにそれが薬師如来の姿へと変わった。
そこで大師は修法を行うこととし、そのために使う水を求めて地面を錫杖で掘ったところ、乳白色の水が湧きだした。大師はその水で沐浴して百日間の修法を行った。そして薬師如来の像を刻み、堂宇を建立して本尊とした。霊泉に因んで山号を白水山、諸人が等しく利益を受けるようにということから寺号を平等寺としたと伝えられる。
泉の水は万病に効くとして知られ、「開運鏡の水」として、今も変わることなくこんこんと湧いている。
また健脚の霊験があらたかであるといわれ、本堂には足の不自由な遍路が使っていた箱車や松葉杖などが奉納されている。当寺の霊験によって健康を回復した証しである。
平等寺の奥の院は、月夜御水大師(月夜御水庵)と弥谷観音(明宝院)とされる。