第56番 金輪山 泰山寺

56番泰山寺

名称 金輪山 勅王院 泰山寺
御本尊 地蔵菩薩
所在地 愛媛県今治市小泉1-9-18 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん かかかび さんまえい そわか

【御詠歌】
みな人の詣りてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ

【略縁起】
その昔、泰山寺のそばを流れる蒼社川は毎年氾濫して田畑を押し流し、亡くなる人も多かった。人々は悪霊の祟りと考え、人取川と呼んで恐れていた。当地を訪れた弘法大師は人々の難儀を哀れみ、人々を集めて堤防を築いた。そして七座の土砂加持を修したところ、満願の日に地蔵菩薩を感得した。そこで地蔵菩薩の像を刻み、一寺を建立したと伝えられる。

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泰山寺の納経(御朱印)

  • 泰山寺の納経

    (1)

  • 56番泰山寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は地蔵菩薩の種字「カ」に「地蔵大士」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上の印は「四国五拾六番」、左下は「泰山寺印」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊地蔵大士」「金輪山」「太山寺」。寺号が「泰山寺」ではなく「太山寺」になっている。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上の印は「五十六番」、左下は「金輪」。

(2)天保12年(1841)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊地蔵大士」「伊豫金輪山 太山寺」。これも寺号が「泰山寺」ではなく「太山寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊地蔵大菩薩」「イヨ(伊豫)今治 泰山寺」。「地蔵大菩薩」の「菩薩」は草かんむりを二つ重ねた異体字、いわゆる「ササ菩薩」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上の印は「五拾六番」、左下は「金輪山印」。

泰山寺について

山号 金輪山(きんりんざん)
寺号 泰山寺(たいさんじ)
院号 勅王院(ちょくおういん)
御本尊 地蔵菩薩
所在地 愛媛県今治市小泉一丁目9番18号
創建年代 弘仁6年(815)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗醍醐派

覚え書き

今治の中央を流れる蒼社川沿いの田園地帯、小高い岡の麓に建つ。石垣の上の白壁に囲まれた木造の堂宇がすっきりとした印象を与える。
かつて蒼社川は毎年のように氾濫して田畑や家屋を押し流し、亡くなる人も多かった。人々は人取川と呼び、悪霊の祟りとして恐れたという。
弘仁6年(815)、当地を巡錫した弘法大師は人々の難儀を哀れみ、人々を集めて堤防を築いた。そして土砂加持〔どしゃかじ〕の秘法を七座修したところ、満願の日に地蔵菩薩を感得し、祈願が成就した。そこで地蔵菩薩の像を刻み、一宇を建立して安置したのが始まりという。
寺号は『延命地蔵経』の十大願の第一「女人泰産」に因む。この寺の千枚通し〔せんまいどおし〕の護符は弘法大師より授けられたとされる秘法で、特に女性の月経不順に霊験があるとして知られるという。
後に淳和天皇の勅願所となり、七堂伽藍を備え、塔頭10坊を擁するようになった。しかし兵火のために衰え、裏山の頂上にあった旧寺地から現在地に移転したと伝えられる。
泰山寺の奥之院は、石鉄山龍泉寺である。

写真帖

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂


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