十二社熊野神社は、応永10年(1403)中野長者と呼ばれた鈴木九郎が熊野三山から十二所権現を勧請したことに始まる。かつての境内は広大で、十二社の池・滝と称する池と滝があり、江戸郊外の景勝地として多くの文人墨客が訪れた。明治になると大きな料亭もでき、最盛期には料亭・茶屋が約百軒もあったという。
正式名称 | 熊野神社〔くまのじんじゃ〕 |
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通称 | 十二社熊野神社〔じゅうにそう くまのじんじゃ〕 |
御祭神 | 櫛御気野大神 伊邪那美大神 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都新宿区西新宿2-11-2 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://12so-kumanojinja.jp/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「熊野神社」、右上に三つ巴の神紋。
(2)平成26年拝受の御朱印。中央の朱印は「熊野神社」で平成17年のものと同じ。左上に八咫烏の印。
御由緒
十二社熊野神社は新宿中央公園に鎮座する角筈村の鎮守で、西新宿・新宿駅周辺・歌舞伎町を含む一帯を氏子とし、新宿総鎮守として親しまれる。当社に因む「十二社(じゅうにそう)」という地名はなくなったが、十二社通りなどにその名を残す。
応永10年(1403)中野長者として知られる鈴木九郎が紀州・熊野三山より十二所権現を勧請したことに始まるという(天文・永禄年間〈1532~69〉に、当地を開拓した渡辺與兵衛が熊野権現を祀ったという説もある)。
鈴木九郎は熊野の祀官の末裔で、現在の中野・西新宿一帯を開拓し、中野区本町の成願寺のあたりに屋敷を構えていた(成願寺は中野長者が自らの屋敷を寺としたもので、十二社熊野神社の旧別当)。当社の由緒によれば、この地を開拓するに当たって熊野より若一王子宮を迎えて祀ったところ、家運が上昇し、中野長者と呼ばれるまでになったため、十二所権現すべてを祀ったという。
今はその面影もないが、かつては十二社の池・滝として知られた池と滝があった。池は慶長11年(1606)伊丹播磨守が造築したもの。滝はいくつかあったが、中でも十二社の大滝と呼ばれたものは、玉川上水から神田上水に分水する神田上水助水堀が熊野神社東端の崖から流れ落ちるところにできた滝だったという。享保年間(1716~1736)以降、江戸郊外の景勝地として知られるようになり、多くの文人墨客が訪れた。明治になると大きな料亭もでき、最盛期には料亭・茶屋が約100軒もあったという。
明治初年、社号を熊野神社と改め、御祭神を櫛御気野大神と伊邪那美大神とした。明治5年(1872)郷社に列格。
境内には、文政3年(1820)奉納の水鉢や嘉永4年(1851)建立の十二社の碑などがある。水鉢には大田南畝の筆による「熊野三山 十二叢祠(じゅうにそうし)」の銘文が刻まれており、「じゅうにそう」の名の由縁とされている。
写真帖
メモ
十二社の滝は淀川浄水場の工事によって埋め立てられ、今は新宿新都心の高層ビル街となっている。十二社の池も、昭和43年(1968)新宿新都心の開発のために埋め立てられた(この頃、角筈・十二社などの由緒ある地名が失われ、西新宿などという無味乾燥な名前になった)。神社の周囲は近代的な新宿中央公園となり、かつての面影を偲ぶこともできないが、人々の憩いの場であることは今も昔も変わりがない。
十二社熊野神社の概要
名称 | 熊野神社 |
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通称 | 十二社熊野神社 |
旧称 | 熊野十二所権現社 |
御祭神 | 櫛御気野大神〔くしみけぬのおおかみ〕(素戔嗚尊) 伊邪那美大神〔いざなみのおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都新宿区西新宿二丁目11番2号 |
創建年代 | 応永10年(1403) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月第3土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 4月上旬土曜日/弁天社稲荷社例祭 6月30日/夏越の大祓式 11月酉の日/酉の市 12月31日/年越の大祓式 |
交通アクセス
□都営大江戸線「西新宿五丁目駅」より徒歩4分
□都営大江戸線「都庁前駅」より徒歩5分
□東京メトロ丸ノ内線「西新宿駅」より徒歩13分
□JR・京王・小田急「新宿駅」より徒歩15分、またはバス
■京王バス永福町・佼成会聖堂前・渋谷行「十二社池の下」下車徒歩すぐ