銀杏岡八幡神社は、源頼家・義家父子が奥州平定のために下向した際、銀杏の枝を差し立てて戦勝を祈願し、凱旋の途次、この銀杏が大きく繁茂していたので、神恩に感謝して八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられる。
正式名称 | 銀杏岡八幡神社〔いちょうがおか はちまんじんじゃ〕 |
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御祭神 | 誉田別皇命 武内宿禰命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区浅草橋1-29-11 [Mapion|googlemap] |
御朱印
平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「銀杏岡八幡神社之印」、右上は丸に三つ銀杏の神紋。
御由緒
銀杏岡八幡神社は、福井町三町(一丁目~三丁目、現在の浅草橋二丁目)の鎮守。
社伝によれば、永承6年(1051)源頼義・義家父子が奥州平定のために下向する途中、当地で小休止をした。当時、この地は隅田川の流れを一望できる小高い丘であったという。この時、上流から銀杏の枝が流れてきた。義家は丘の上にその枝を差し立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願した。
康平5年(1062)、都へと凱旋する源義家がこの地に到ると、その枝が大きく繁茂していたので、神恩に感謝し、太刀一振を捧げて八幡宮を勧請したのが当社の創祀であると伝える。
この銀杏の大木は隅田川を行き交う船の目印となっていた。また、この地を八幡塚あるいは銀杏塚と称し、街道の一里塚となっていたという。
元和4年(1618)当地一帯は福井藩松平家の下屋敷となり、当社も邸内社として祀られることとなった。享保10年(1725)収公され、跡地は町屋となった。当初は町名がなかったが、享保15年(1730)丸岡町・銀杏町・福井町と名付けたいと申し立てたところ、福井町と命名された。以来、当社は福井町三町(一丁目~三丁目)の産土神として尊崇されてきた。
明治5年(1872)村社に列する。
なお、大銀杏は延享3年(1746)大風で半ばから折れてしまった。その後も高さ6mぐらいとなって繁茂していたが、文化3年(1806)の大火で焼失したという。
写真帖
メモ
浅草橋の駅からほど近い商店街の中に鎮座する。境内はそれほど広くないが、大きな銀杏の木が繁茂している。特に晩秋の頃は黄色い銀杏の葉に彩られ、銀杏岡の名にふさわしいたたずまいとなっている。
銀杏岡八幡神社の概要
名称 | 銀杏岡八幡神社 |
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旧称 | 銀杏八幡宮 |
御祭神 | 誉田別皇命〔ほんだわけのみこと〕 武内宿禰命〔たけのうちのすくねのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都台東区浅草橋一丁目29番11号 |
創建年代 | 康平5年(1062) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 6月第1土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 2月11日/建国祭 2月17日/祈年祭 3月午の日/初午祭 6月30日/大祓 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR総武線・都営浅草線「浅草橋駅」より徒歩2分