社伝によれば、諸国を開拓した天日鷲命を当地に祀ったことに始まるという。日本武尊が東征の際に戦勝を祈願し、凱旋の途次、11月の酉の日にお礼の参拝をして社前の松の木に武具の熊手を懸けた。そこで11月の酉の日を例大祭としたのが酉の市であるという。明治の神仏分離で旧別当の長國寺から独立し、鷲大明神社の社号を鷲神社と改めた。
正式名称 | 鷲神社〔おおとりじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 天日鷲命 日本武尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区千束3-18-7 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.otorisama.or.jp/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。揮毫は「浅草田甫」「鷲神社」。中央の朱印は「鷲神社」、下は八方崩しの書体で「鷲」。右上に熊手と「商売繁昌」。
(2)平成23年、三の酉でいただいた御朱印。朱印はほぼ同じだが、左上に日本武尊のスタンプ。
(3)浅草名所七福神、寿老人の御朱印。
御由緒
社伝によれば、天日鷲命が諸国を開拓して、この地に祀られるようになった。日本武尊が東夷征討に際して戦勝を祈願し、その帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて感謝し、戦勝を祝った。その日がたまたま11月の酉の日だったので例祭日と定めた。これが「酉の祭〔まち〕」、すなわち「酉の市」の始まりであるとする。
その後、この故事によって日本武尊を祭神に加えたという。
なお、鷲神社はもともと隣接する鷲在山長國寺(法華宗本門流)の鷲大明神社であった。長國寺は上総の大本山・長国山鷲山寺の末寺で、寛永7年(1630)浅草寺町に開創、寛文9年(1669)、現在地に移転した。
明治元年(1868)神仏分離令により長國寺から独立し、鷲神社と改称。明治6年(1873)村社に列した。
補足
長國寺の縁起に依れば、長國寺開創当初より鷲山寺の鎮守である鷲妙見大菩薩、別名・鷲大明神の出開帳が行われ、多くの参詣人を集めた。明和8年(1771)には鷲妙見大菩薩(鷲大明神)を勧請し、番神堂に祀った。このため、番神堂は妙見堂・鷲大明神社あるいは鷲の宮と呼ばれるようになった。
この鷲妙見大菩薩は、文永2年(1265)、日蓮聖人が上総国鷲巣の小早川家(現在の鷲山寺)で感得した。応現の日に因んで11月酉の日にご開帳を行ったのが「酉の市」の始まりとする。
ただし、酉の市は足立区花畑の大鷲神社が発祥とされ、かつては花畑の大鳥神社の酉の市を本酉、千住の勝専寺を中酉(現在は行われていない)、当社のものを新酉と呼んだという。
写真帖
メモ
初めて酉の市に参拝したのは平成9年頃だった。夕刻に並んで、神社にたどり着くまでずいぶんかかったが、参拝し終えると行列がさらに長くなり、千束五叉路に向かって延々と続いているのに驚いた記憶がある。
国際通りに面して鎮座する。「浅草田圃」というように、かつて周囲は一面の田圃だったらしいが、今はまったく面影がない。ビューホテルの辺りにあった十大祖師の幸龍寺が「田圃の幸龍寺」と呼ばれていたというので、そのあたりからずっと田圃だったはずなのだが、とても信じられない。
鷲神社の概要
名称 | 鷲神社 |
---|---|
通称 | おとりさま 浅草鷲神社 |
旧称 | 鷲大明神社 |
御祭神 | 天日鷲命〔あめのひわしのみこと〕 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都台東区千束三丁目18番7号 |
創建年代 | 不詳/※長國寺の縁起によれば明和8年(1771) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 11月酉の日(酉の市) |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月初酉日/初酉祭 1月19日/福神講新年祭 2月節分/節分祭 2月23日/夏越祈年祭 6月30日/大祓式 12月初酉日/新嘗祭 12月31日/年越大祓式 |
巡拝 | 浅草名所七福神 |
交通アクセス
□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩約7分
□東京メトロ銀座線「田原町駅」より徒歩約15分
□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩約15分、またはバス
■東武浅草駅前より都営バス日暮里駅前行き「千束」下車徒歩約2分
□JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」より徒歩約20分
□JR山手線・京浜東北線「日暮里駅」よりバス
■都営バス錦糸町駅行き「千束」下車徒歩約2分
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