名称 | 室戸山 明星院 最御崎寺 |
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御本尊 | 虚空蔵菩薩 |
所在地 | 高知県室戸市室戸岬町4058-1 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
【御詠歌】
明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまし
【略縁起】
『三教指帰』にも記されているように、室戸岬は弘法大師が青年時代に虚空蔵求聞持法を修したゆかりの地である。唐より帰国した大師は嵯峨天皇の勅を受け、大同2年(807)この地を再訪、虚空蔵菩薩を本尊として一寺を建立した。歴代天皇や足利幕府、土佐藩主の尊崇厚く、たびたび寺領の寄進や堂宇の造営があったという。
最御崎寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は虚空蔵菩薩の種字「タラーク」に「虚空蔵尊」、寺号は「東寺」。中央の宝印は火炎宝珠に「タラーク」。右上の朱印は「四国第廿四番」、左下は「最御崎寺」。
(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊虚空蔵」「土州 東寺」。中央の宝印は火炎宝珠に虚空蔵菩薩の種字「タラーク」。右上の朱印は「四国廿四番」、左下は「最御崎寺」。
(2)天保12年(1841)の納経。版木押しだが、薄い部分を筆で補っている。「奉納経 室戸山」「金堂虚空蔵尊」「土州 東寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊虚空蔵菩薩」「土佐」「東寺」。中央の宝印は火炎宝珠に虚空蔵菩薩の種字「タラーク」。右上の朱印は「四国第廿四番」、左下は「最御崎寺」。
最御崎寺について
山号 | 室戸山(むろとざん) |
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寺号 | 最御崎寺(ほつみさきじ) |
院号 | 明星院(みょうじょういん) |
通称 | 東寺(ひがしでら) |
御本尊 | 虚空蔵菩薩 |
所在地 | 高知県室戸市室戸岬町4058番地 |
創建年代 | 大同2年(807) |
開山 | 弘法大師 |
宗派等 | 真言宗豊山派 |
文化財 | 〈重文〉木造薬師如来坐像 木造月光菩薩立像 石造如意輪観音半跏像 漆塗台盤(2基)〈県有形文化財〉文虚空蔵菩薩坐像懸仏 |
覚え書き
最御崎寺(東寺)と津照寺(津寺・25番)金剛頂寺(西寺・26番)を合わせて室戸三山という。
薬王寺から最御崎寺までは70キロ余りある。37番岩本寺から38番金剛福寺までの距離に次ぐ長丁場である。境内には蘇鉄や羊歯などが茂り、いかにも南国の風情である。ここから望む太平洋が「空海」の名のゆかりとも言われるが、確かにそうかもしれないと思わせる雄大な景色である。
最御崎寺は弘法大師が青年時代に虚空蔵求聞持法を修された室戸岬にあり、院号もそれに因む。徒歩での登り口近くには、大師が修行された御厨人窟〔みくろど〕がある。
大師が唐より帰朝された大同2年(802)この地を訪れ、虚空蔵菩薩を本尊として一宇を建立した。元は北方6km余の四十寺山にあったとされる。嵯峨天皇の勅願寺となったのをはじめ、歴代天皇や足利幕府の篤い帰依を受けた。
故・五来重博士は、最御崎寺の寺号は本来「火つ御崎(火の岬)」であり、海に向かって聖火を焚く古代信仰(あるいは修行)に因むものだと推測されている。また、当寺が胎蔵界、西寺と呼ばれる26番金剛頂寺が金剛界を表し、両寺合わせて金胎両部の修行が行われたのだろうという。東寺・最御崎寺と西寺・金剛頂寺は関わりが深く、西寺の住職が東寺の住職を兼ねることもあったようだ。
明治の廃仏によって荒廃したが、大正年間に再興され、諸堂が再建整備された。
当寺の境内及び周辺には、弘法大師ゆかりの七不思議がある。すなわち①一夜建立の岩屋、②大師行水の池、③亀が池、④ねじり岩、⑤鐘石、⑥喰わずの芋、⑦目洗いの池である。
江戸時代までは女人禁制で、麓にある観音窟(一夜建立の岩屋)が女人堂だった。最御崎寺の奥の院はこの一夜建立の岩屋、もしくは創建当時の所在地である四十寺とされており、一夜建立の岩屋の納経は最御崎寺の納経所でお願いできる。