【別格6番】臨海山 龍光院 | 愛媛県宇和島市

別格6番龍光院

龍光院は、元和元年(1615)宇和島藩主として入封した伊達秀宗が建立し、祈願所としたことに始まる。寛永15年(1638)大覚寺の空性法親王より臨海山福寿寺の号を賜った。明治になって元結掛〔もとゆいぎ〕の遍照山願成寺(馬目木大師)を合併、四国40番奥之院を引き継いだ。

名称 臨海山 福寿寺 龍光院
御本尊 十一面観世音菩薩
札所本尊 弘法大師
本尊真言 おんまか きゃろにきゃ そわか
御詠歌 みめぐみの杖をたよりに有為の山 越えてくもらぬ月をみるかな
所在地 愛媛県宇和島市天神町1-1 [Mapion|googlemap]
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目次

龍光院の納経(御朱印)

龍光院の納経
(1)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は弥勒菩薩の種字「ユ」に「遍照殿」。中央の宝印は蓮台上の宝珠に大日如来の種字「バン」。遍照殿は弘法大師を祀るお堂。また、弘法大師は弥勒の三昧に住しているということから、弥勒菩薩の種字と真言を用いる。本尊の十一面観音ではなく弘法大師を表す内容であり、鯨大師願成寺から元結掛を経て龍光院に移された四十番奥之院としての納経ということなのだろう。

江戸時代の納経

願成寺の納経
(2)

(2)天保12年(1841)40番奥之院・元結掛願成寺(現在の馬目木大師)の納経。揮毫は「奉納」「四十番 奥院」「元結掛弘法大師」「願成寺」。中央の宝印は蓮台の上に弥勒菩薩の種字「ユ」(弘法大師を表す)。右上の印は「宇和島城下」、左下は「四十番奥院」。

略縁起

龍光院は、元和元年(1615)伊達秀宗が宇和島藩主として入封した際、宇和島城の鬼門鎮護のために建立し、祈願所としたことにはじまる。寛永15年(1638)四国を巡錫された大覚寺の空性法親王が立ち寄られ、風光明媚であることを賞して「臨海山福寿寺」の寺号を賜ったという。

本来、40番札所観自在寺の奥之院は、宇和島の沖にある九島の遍照山願成寺(鯨大師)であった。大同元年(806)弘法大師が四国八十八ヶ所開創を成就された記念に建立された寺であると伝えられる。

しかし離島で参拝に不便であるため、寛政8年(1631)元結掛に移された。ここは、九島への参拝が不便であるため、弘法大師が九島の遙拝所として設けられたという伝承がある。弘法大師が突き立てたウバメガシ(馬目木)の杖が根付いたということから馬目木〔まめき〕大師と呼ばれるようになったという。

その後、明治に至って龍光院に合併されたため、龍光院が40番奥之院の法灯を継ぐことになった。九島と元結掛の旧地には、それぞれ鯨大師堂と馬目木大師堂が残っている。

境内はJR宇和島駅から徒歩5分ほど、宇和島城を望む小高い岡の上にある。正面には111段の石段があるが、これは108煩悩に過去(先祖)現在(自己)未来(子孫)の三世を合わせたものという。また、境内には弘化2年(1845)建立という芭蕉の句碑がある。芭蕉の母が宇和島の出身であることに因むとのことである。

写真帖

参道の石段
参道の石段
芭蕉の句碑
芭蕉の句碑
四国百八霊場お砂踏み
大師堂
本堂
本堂

龍光院の概要

山号 臨海山〔りんかいざん〕
寺号 福寿寺〔ふくじゅじ〕
院号 龍光院〔りゅうこういん〕
旧札所 遍照山 願成寺(鯨大師・馬目木大師)
御本尊 十一面観世音菩薩
札所本尊 弘法大師
所在地 愛媛県宇和島市天神町1番1号
創建年代 元和元年(1615)
開山 栄瑜上人
宗派等 高野山真言宗
備考 四国別格6番 四国40番奥之院 伊予十観音霊場 南予七福神(毘沙門天)

交通アクセス

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