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第40番 平城山 観自在寺

40番観自在寺

名称 平城山 薬師院 観自在寺
御本尊 薬師如来
所在地 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.kanjizaiji.com/

【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

【御詠歌】
心願や 自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの

【略縁起】
大同2年(807)平城天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝えられる。本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来・十一面観世音菩薩は、大師が一本の霊木から一刀三礼して刻んだものという。寛永15年(1638)京都大覚寺の空性法親王が四国を巡拝した際、「薬師院」の院号を授かった。江戸時代は宇和島藩主・伊達氏の祈願所として尊崇された。

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観自在寺の納経(御朱印)

  • 40番観自在寺の納経

    (1)

  • 40番観自在寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「医王殿」。中央の宝印は蓮台上に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第四十番」、左下は「観自在寺」。

(2)平成19年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。珍しい朱の版木押しで「平城山」「バイ(薬師如来の種字)薬師如来」「観自在寺」。中央の宝印は蓮台上に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第四拾番」、左下は「観自在寺」。

(2)天保12年(1841)の納経。版木押しで「奉納」「平城山」「薬師如来」「与州 観自在寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「医王殿」「観自在寺」。中央の宝印は蓮台上に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第四十番」、左下は「観自在寺」。

観自在寺について

山号 平城山(へいじょうざん)
寺号 観自在寺(かんじざいじ)
院号 薬師院(やくしいん)
御本尊 薬師如来
所在地 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253番地1号
創建年代 大同2年(807)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗大覚寺派
備考 南予七福神(弁財天)

覚え書き

第1番霊山寺から最も遠くに位置することから「四国霊場の裏関所」と称される。仁王門をくぐるとすっきりとした印象の境内が広がる。
大同2年(807)平城天皇の勅願道場として弘法大師が開創した。本尊の薬師如来、脇侍の阿弥陀如来と十一面観音は、大師自ら一本の霊木から一刀三礼して刻んだものと伝えられる。山号と寺号はこの縁起に因むものである。平城・嵯峨の両天皇の行幸があり、皇室から庶民に至るまでの信仰を集めたとされる。中世には七堂伽藍を有し、寺領2500石を誇ったという。
現在の本堂は昭和34年(1959)の火災の後、同39年(1964)に再建されたもの。大師堂は平成5年(1993)の再建で、周囲には四国八十八ヶ所のお砂踏みがある。
また、境内には平城天皇の遺髪塚と伝えられる五輪塔がある。薬子の乱の後、出家剃髪された平城天皇の遺髪を、この地の出身である女官が持ち帰り、境内に埋めたものという。平城天皇は当寺で剃髪し、その髪を納めたともいわれる。
奥の院は、元は九島の鯨大師願成寺であったが、後に元結掛の馬目木大師に移され、現在は宇和島の龍光院に継承されている。

写真帖

  • 大師堂

    大師堂

  • 平城天皇遺髪塚

    平城天皇遺髪塚

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