社伝によれば日本武尊が神世七代の六天神を祀ったことを起原とするという。元は第六天、あるいは天津神社と称した。昭和34年(1959)区画整理で現在地に移転した際、兵庫県西宮市の西宮神社から事代主命(恵比寿様)を勧請、社号を恵比寿神社と改めた。10月には盛大にべったら市が行われる。
正式名称 | 恵比寿神社〔えびすじんじゃ〕 |
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御祭神 | 国常立命 豊雲野神 角杙神 意富斗能地神 伊弉諾神 伊弉冉神 〈合祀〉事代主命 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都渋谷区恵比寿西1-11-1 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「恵比寿神社印」。下は「恵比寿神社」、六角形の枠は旧称の大六天、もしくは御神体の六角形の石柱に因むものと思われる。
(2)平成28年、べったら市でいただいた御朱印。中央の朱印は「恵比寿神社印」で平成17年のものとほぼ同じだが、文字や枠が太くなっているようなので、印を新調しているのかも知れない。左下は六角の枠に「恵比寿神社」。
御由緒
元は天津神社と称し、それ以前は大六天(第六天)と呼ばれていた(※天津神社と改称したのは明治になってであろう)。
社伝によれば、景行天皇の御代、日本武尊が東征の途次に当地で休息し、神代七代の六天神を祀った。その後、土地の人々が尊の徳を讃え、天津神を祀ってきたという。御神体は六角形の石の柱で、それぞれの面に六柱の神々の名が刻まれている。
明治17年(1884)東京府の社寺課に提出した書類には「氏子無、信徒三人」とあるそうなので、地域の有志によって祀られる祠のようなものだったのだろう。『豊多摩郡誌』には渋谷氷川神社の末社とあるが、無格社とはいえ独立の神社として扱われているので、兼務社の意味であろうと思われる(現在も渋谷氷川神社が兼務している)。
昭和34年(1959)区画整理のため、恵比寿駅近くの旧社地から遷座。このとき、さらなる街の発展を願って兵庫県西宮市の西宮神社から事代主命(えびす様)を勧請し、社号も恵比寿神社と改めた。
補足
事代主命(えびす様)の勧請、恵比寿神社への改称は地名の恵比寿に因むものであろう。もともとこの辺りは下渋谷であるが、明治23年(1890)恵比寿麦酒(現在のヱビスビール)の工場ができ、その後恵比寿駅が設置されたことから恵比寿と呼ばれるようになった。昭和44年(1969)には神社の鎮座地も住居表示の実施により渋谷区長谷戸町から恵比寿西に改められている。
現在の例大祭は11月20日で盛大にべったら市が行われているが、これは恵比寿神社への改称以降のことと思われる。『豊多摩郡誌』を見ると天津神社の例祭日は1月20日となっており、現在の新春祈願祭が元の例祭のようだ。
写真帖
メモ
恵比寿駅近くの商業地域にある。表通りから脇道に入ると正面に神社が建ち、道路はその両脇を通って後ろに抜けるため、狭い境内の四方を道路に囲まれるようになっている。人通りが多い立地のためか、ちょっと立ち寄って参拝する人も多いようだ。
初めて参拝したときは年末で、ちょうど境内で門松を作っていた。御朱印は社務所でいただけたのだが、現在は平日のみ恵比寿商店街会館(表通りの参道入口にある)で書き置きのものをいただけるようだ。ただし10月のべったら市では社殿にて御朱印帳に記帳押印していただくことができる。
恵比寿神社の概要
名称 | 恵比寿神社 |
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旧称 | 大六天 天津神社 |
御祭神 | 国常立命〔くにのとこたちのみこと〕 豊雲野神〔とよくもぬのかみ〕 角杙神〔つぬぐいのかみ〕 意富斗能地神〔おおとのじのかみ〕 伊邪那岐神〔いざなぎのかみ〕 伊邪那美神〔いざなみのかみ〕 〈合祀〉 事代主命〔ことしろぬしのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都渋谷区恵比寿西一丁目11番1号 |
創建年代 | 伝・景行天皇の御代(A.D.71~130) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 10月19~20日(べったら市) |
神事・行事 | 1月20日/新年祈願祭 4月19~20日/春季大祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR山手線「恵比寿駅」より徒歩約5分
□東京メトロ日比谷線「恵比寿駅」より徒歩約2分