青山熊野神社

青山熊野神社

元和5年(1619)紀州藩初代藩主・徳川頼宣が赤坂の藩邸内に熊野権現を勧請したことを起源とする。その後、町民の願いを受けて青山御炉路町へ仮遷座、さらに正保元年(1644)現在地に遷座した。以来、青山の総鎮守、紀州徳川家の祈願所として尊崇された。明治5年(1872)社号を熊野大権現から熊野神社と改め、村社に列格した。
渋谷区の神社

正式名称 熊野神社〔くまのじんじゃ〕
通称 青山熊野神社
御祭神 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 伊弉冉命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都渋谷区神宮前2-2-22 [Mapion|googlemap]
東都神社御朱印集
東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつもある。また、多くの庶民によって信仰を集めてきた神社も数多い。 御朱印拝受という観点から見れば、人口が多...

御朱印

  • 青山熊野神社

平成17年拝受の御朱印。中央上の朱印は三つ葉葵の社紋。紀州徳川家の紋に由来するのであろう。下は「青山熊野神社宮司印」。

御由緒

青山の総鎮守。紀州徳川家ゆかりの神社で、社紋も紀州徳川家の三つ葉葵を用いる。旧別当は御府内八十八ヶ所第9番の三光山浄性院(真言宗、廃寺)で、。

元和5年(1619)紀州藩初代藩主・徳川頼宣が赤坂の藩邸内(現在の赤坂御用地)に熊野権現を勧請、祈願所としたことを起源とする。その後、町民の願いにより青山御炉路町(現在の港区立青山中学校の辺り)に仮遷座。さらに正保元年(1644)原宿村の現社地に遷され、翌2年(1645)4月に社殿等が落成した。

以来、青山の総鎮守、紀州藩の祈願所として崇敬された。当時の様子は『江戸名所図会』にも描かれている。延享2年(1745)社殿が類焼、再建に際しては徳川吉宗より金300両の寄進があった。

明治5年(1872)神仏分離により社号を熊野大権現から熊野神社に改め、村社に列格した。別当の浄性院は廃寺となり、御府内9番札所は近くの臨済宗・龍巌寺が引き継ぎ、弘法大師像も同寺に遷された。

昭和20年(1945)空襲で社殿等が全焼、その後再建された。現在の社殿は昭和44年(1969)に造営されたものである。

補足

熊野三山からの勧請ということではあるが、御祭神4柱のうち熊野の御祭神は伊弉冉命だけで、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命の3柱は伊太祁曽神社(和歌山市)の御祭神である。文政寺社書上では伊弉冉尊・速玉之男尊・事解之男尊だが、大正6年(1917)の『千駄ヶ谷町勢一覧』では現在の御祭神と同じになっている。幕末から明治にかけての時期に御祭神が変わったのであろうか。

写真帖

  • 社前風景

    社前風景

  • 境内社

    伏見稲荷神社・御嶽神社・秋葉神社

  • 力石

    力石

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

最寄り駅は東京メトロの外苑前駅。徒歩5分足らずのところに鎮座する。街中に鎮座する神社だが緑が多い。木の神様にふさわしい境内といえよう。

青山熊野神社の概要

名称 熊野神社
通称 青山熊野神社
旧称 熊野大権現
御祭神 五十猛命〔いだけるのみこと〕
大屋津姫命〔おおやつひめのみこと〕
抓津姫命〔つまつひめのみこと〕
伊弉冉命〔いざなみのみこと〕
鎮座地 東京都渋谷区神宮前二丁目2番22号
創建年代 元和5年(1619)
社格等 旧村社
例祭 9月最終土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月21日/中祭(熊野神社正月神事)
2月節分/追儺式
旧2月初午の日/初午祭
5月21日/中祭(春季例祭)
6月30日/大祓式
11月23日/新穀感謝祭
12月31日/除夜祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□東京メトロ銀座線「外苑前駅」より徒歩約5分

渋谷区の神社
旧官国幣社 明治神宮 鎮座地:渋谷区代々木神園町 渋谷地域 恵比寿神社 鎮座地:渋谷区恵比寿西1 北谷稲荷神社 鎮座地:渋谷区神南1 金王八幡宮 鎮座地:渋谷区渋谷3 豊栄稲荷神社 鎮座地:渋谷区渋谷3 御嶽神社 通称:宮益御嶽神社 鎮座地...
タイトルとURLをコピーしました