正式名称 | 七社神社〔ななしゃじんじゃ〕 |
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御祭神 | 伊邪那岐命 伊邪那美命 天児屋根命 伊斯許理度売命 市杵島比売命 仲哀天皇 応神天皇 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都北区西ヶ原2-11-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.nanasha.jp/ |
【由緒概要】
七社神社は西ヶ原村の鎮守で、江戸時代以前は七所明神社と称し、旧別当・無量寺の境内に鎮座していた。紀州高野山の四所明神を勧請し、伊勢・春日・八幡の三座を合わせ祀ったので七所明神と称したという。明治の神仏分離で無量寺から独立し、一本杉神明宮の鎮座していた現社地に遷座した。
七社神社の御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「七社神社」、左下は「七社神社社務所之印」。
(2)平成28年拝受の御朱印。中央の朱印は「七社神社」、左下は「七社神社社務所之印」。左上に御衣黄、右下に福禄寿の花の印。
(3)平成28年拝受、夏詣の御朱印。中央の朱印は「七社神社」、右上に「夏詣」、左下に都電神社巡りの都電車両の印。
(4)平成29年拝受、初詣の御朱印。中央の朱印は「七社神社」、右上に「初詣」、左下に都電車両の印。
七社神社について
名称 | 七社神社 |
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旧称 | 七所明神社 七つの社 |
御祭神 | 伊邪那岐命〔いざなぎのみこと〕 伊邪那美命〔いざなみのみこと〕 天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕 伊斯許理度売命〔いしこりどめのみこと〕 市杵島比売命〔いちきしまひめのみこと〕 仲哀天皇〔ちゅうあいてんのう〕(帯中日子命) 応神天皇〔おうじんてんのう〕(品陀別命) |
鎮座地 | 東京都北区西ヶ原二丁目11番1号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月秋分の日とその前日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭追儺式 2月11日/紀元祭 2月17日/祈年祭 5月1日/中祭 6月28日/大祓式 12月28日/大祓式 12月31日/焼納祭・除夜祭 |
御由緒
七社神社は西ヶ原村の鎮守。創建については寛政5年(1793)の火災で古記録が焼失したため詳らかでない。
江戸時代以前は七所明神社と称し、別当・仏宝山無量寺(西ヶ原1、真言宗)の境内に鎮座していた。『新編武蔵風土記稿』には、紀伊国高野山の四所明神を勧請し、伊勢・春日・八幡の三座を合わせ祀ったことから七所明神と称するようになったとある。『江戸名所図会』には無量寺の高台(現在の旧古河庭園のあたり)に「七社〔ななのやしろ〕」として描かれている。
明治元年(1868)の神仏分離令により無量寺から独立。明治2年(1869)一本杉神明宮のあった現社地に遷座した。神明宮は天祖神社と改められ、七社神社の末社となった。
昭和3年(1928)昭和の御大典を機に村社昇格。
補足
高野山の四所明神に伊勢・春日・八幡の三座を合わせ祀るというのは、高野山の登山口に鎮座する丹生官省符神社と同じである。しかし、高野の四所明神は丹生都比売大神・高野御子大神・大食都比売大神・市杵島比売大神で、当社の祭神とは市杵島比売が共通するだけである。
写真帖
メモ
滝野川警察署の傍に一の鳥居があり、その先に二の鳥居が見える。拝殿の前には里桜の御衣黄と福禄寿が枝を広げている。
御朱印拝受は1月上旬の夕方。気さくな宮司さんで、御朱印をいただいた後、少々雑談をしたのだが、ぜひ桜の季節に参拝してほしいといわれた。里桜の見頃は4月中旬。白と黄緑の花を咲かせる御衣黄とピンクの福禄寿が美しい。
※近年、御朱印に御衣黄と福禄寿の印が押されるようになった。