こまいぬ@御朱印研究家– Author –
-
明治38年(1905)四国八十八ヶ所の納経帳(阿波)
この納経帳は、明治38年(1905)に四国八十八ヶ所を巡拝したものである。巡拝したのは女性だが、どこの人かはわからない。阿波の札所で重ね印をしているので、徳島県もしくは関西方面の人ではないかと思われる。 以下に阿波国(徳島県)の札所を見ていく(... -
神明山天祖神社(八景天祖神社)| 東京都大田区
創建年代は不詳だが、享保年間(1716~36)地元の人々が伊勢神宮に参詣し、御分霊を受けたことに始まると伝えられる。当時は神明社と称し、別当は円能寺であった。明治の神仏分離で独立し、天祖神社と改称した。 正式名称 天祖神社〔てんそじんじゃ〕 通称... -
文化10年(1813)西国三十三所の納経帳(後半)
この納経帳は、文化10年(1813)に阿波国板野郡大寺村の三橋茂兵衛と母のフサが西国三十三所と信州善光寺を巡拝したときのものである。以下に、この納経帳の後半の詳細を見ていく。 播磨国の書写山から巡拝をはじめた茂兵衛とフサは、丹後・北近江... -
文化10年(1813)西国三十三所の納経帳(前半)
この納経帳は、文化10年(1813)に阿波国板野郡大寺村の三橋茂兵衛と母のフサが西国三十三所と信州善光寺を巡拝したときのものである。以下に、この納経帳の前半の詳細を見ていこう。 前半は西の比叡として知られる書写山円教寺の女人堂から始まり、播磨か... -
奥戸天祖神社 | 東京都葛飾区
奥戸天祖神社は、奥戸村の鎮守。江戸時代以前は三社明神社と称した。葛西御厨の時代に、伊勢より皇大神宮を勧請し、鹿島・香取の神を合わせ祀って村の鎮守としたと考えられている。明治初年に天祖神社と改称した。社殿前の大〆縄は、10月の例大祭で行われ... -
胡録神社 | 東京都荒川区
正式名称 胡録神社〔ころくじんじゃ〕 御祭神 面足尊 惶根尊 社格等 旧村社 鎮座地 東京都荒川区南千住8-5-6 [Mapion|googlemap] 公式サイト http://korokujinja.mikosi.com/ 【由緒概要】 胡録神社は橋場村汐入の鎮守で、古くは第六天社と称した。永禄4... -
雄郡神社 | 愛媛県松山市
雄郡神社は、天宇受売命を奉斎したことに始まるというが、その年代は不詳である。用明天皇元年(586)宇佐八幡より八幡三神を勧請した。元慶2年(878)神階従五位下を授けられ、延久5年(1073)正八幡宮と改称した。近世は松山藩主となった加藤嘉明や松平... -
浮嶋神社 | 愛媛県東温市
浮嶋神社は『三代実録』にその名が見える国史見在社であり、浮嶋神(可美葦牙彦舅尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊)を祀ったことに始まると伝えられる。後に越智益躬が三島神を合祀した。南北朝時代には当地に滞在した満良親王・懐良親王・長慶天皇や後南朝の忠義... -
柴又八幡神社 | 東京都葛飾区
柴又八幡神社は、柴又村の鎮守。創建年代などは不詳だが、柴又は正倉院文書に見える「島俣里」に比定される古い土地であり、当社の創建も古くまで遡るだろうという。社殿は古墳の上に建っており、昭和40年(1965)から古墳の調査が行われた。6世紀末の円墳... -
諏方神社 | 福島県会津若松市
諏方神社は会津大鎮守六社の筆頭。永仁2年(1294)黒川城(後の会津若松城)の城主・葦名盛宗が新宮氏討伐の戦勝の報賽として信州の諏訪大社から御分霊を勧請し、領内の鎮守としたことを創祀とする。以来、歴代領主の崇敬を受けた。 正式名称 諏訪神社〔す...