創建年代は不詳だが、享保年間(1716~36)地元の人々が伊勢神宮に参詣し、御分霊を受けたことに始まると伝えられる。当時は神明社と称し、別当は円能寺であった。明治の神仏分離で独立し、天祖神社と改称した。
正式名称 | 天祖神社〔てんそじんじゃ〕 |
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通称 | 神明山天祖神社〔しんめいやま てんそじんじゃ〕 八景天祖神社〔はっけい てんそじんじゃ〕 |
御祭神 | 天照大御神 豊受大神 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都大田区山王2-8-1 [Mapion|googlemap] |
大田区の神社
東京都大田区の神社の御朱印。新田神社・薭田神社・六郷神社・磐井神社・羽田神社・穴守稲荷神社・大森神社・御嶽神社・多摩川浅間神社・貴舩神社(大森)・千束八幡神社・蒲田八幡神社・雪ヶ谷八幡神社・荒藺ヶ崎熊野神社・春日神社(新井宿)・子安八幡神社・東八幡神社・六所神社(下丸子)・大森鷲神社など
御朱印
平成24年拝受の御朱印。中央の朱印は「神明山天祖神社」、左下は「天祖神社」。
御由緒
創建年代は不詳だが、由緒書によれば、享保年間(1716~36)地元の人々が伊勢講を組織し、伊勢神宮に参詣して御分霊を受けたことにはじまると伝えられる。当時は神明社と称し、別当は円能寺であった。
『新編武蔵風土記稿』によれば、八景坂の上にあり、昔は当時の社殿より後方にあったという。
明治初年の神仏判然令で円能寺の管理から離れ、天祖神社と改称した。神明山天祖神社あるいは八景天祖神社と通称される。
新編武蔵風土記稿
神明社
八景坂のうへにあり。本社二間に九尺、山上にあり。昔はいまの社の所より背後の方、小祠のあるところにありしと云へり。社前、山の半腹に鳥居をたつ。勧請の年歴を伝へず。村内円能寺持。
写真帖
メモ
JR大森駅の西口に出ると、八景坂(池上通り)をはさんで神明山天祖神社が鎮座する。御朱印や神社の由緒書は「神明山天祖神社」となっているが、本務社である天祖・諏訪神社のサイトを見ると「八景天祖神社」となっている。八景坂に面していることによる通称であろう。
参道の石段脇には「八景碑」がある。文化13年(1816)名主の大野貫蔵が建てたもので、近江八景に倣った「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」の大森八景が刻まれている。
平成25年頃から御朱印の対応をしていないようである(※平成28年時点でも御朱印対応はしていないとの情報あり)。
神明山天祖神社の概要
名称 | 天祖神社 |
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通称 | 神明山天祖神社 八景天祖神社 |
旧称 | 神明社 |
御祭神 | 天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕 豊受大神〔とようけのおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都大田区山王二丁目8番1号 |
創建年代 | 不詳、享保年間(1716~36)? |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 8月第3もしくは第4土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 2月上午の日/初午祭 |
交通アクセス
□JR東海道本線・京浜東北線「大森駅」より徒歩1分
東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。