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用賀神社 | 東京都世田谷区

用賀神社

明治41年(1908)天祖神社に村社・宇佐神社及び稲荷神社・厳島神社・山際神社・北野神社を合祀、地名に因んで用賀神社と改称した。天祖神社は元は神明社と称し、創建年代は不詳。宇佐神社は天正年間(1573~92)鶴岡八幡宮から勧請したと伝えられ、用賀村の鎮守だった。

正式名称 用賀神社〔ようがじんじゃ〕
御祭神 天照皇大神 応神天皇 神功皇后 仲哀天皇 〈合祀〉配菅原道真 大山祇命 市杵島姫命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都世田谷区用賀2-16-26 [Mapion|googlemap]
世田谷区の神社
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御朱印

  • 用賀神社の御朱印

平成23年拝受の御朱印。中央の朱印は「用賀神社神璽」。右下のスタンプは社頭風景に「用賀神社」。

御由緒

用賀神社は、明治41年(1908)用賀村にあった村社宇佐神社・無格社天祖神社などを合祀して成立した。

用賀村の鎮守は村社・宇佐神社(旧称・八幡社)であった。しかし村の外れに鎮座していたため、明治41年8月11日、許可を得て村の中央にある無格社・天祖神社に合祀することとなった。

これと同時に村内の稲荷神社・厳島神社・山際神社・北野神社も合祀。同年11月7日、地名に因んで用賀神社と改称した。

天祖神社は創建年代不詳で、江戸時代は神明社と称し、別当は真言宗の瑜伽山真福寺であった。

宇佐神社は天正年間(1573~92)鶴岡八幡宮から勧請されたと伝えられる。こちらも別当は真福寺で、明治5年(1872)村社に列格した。

現在の社殿は昭和52年(1977)の造営で、当時入手困難であった木曽檜を用いている。旧社殿は経堂の天祖神社に譲られた。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 稲荷神社

    稲荷神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

東急田園都市線の用賀駅から少し東に鎮座する。
東京で仕事について最初の1年ほどは用賀に勤務していた。当時はまだ渋谷から二子玉川までは新玉川線と呼んでいた頃で、用賀ビジネススクエアは工事中であった。その頃も用賀神社の存在は知っていたが、一度も参拝することはなかった。なので、御朱印拝受時が初めての参拝である。
御朱印は本務社である等々力の玉川神社の宮司さんの管理なので、そちらに連絡する必要がある(平成23年現在)。私はたまたまその日に用賀神社でご祈祷があるということで、現地で拝受した。

用賀神社の概要

名称 用賀神社
旧称 天祖神社/神明社
宇佐神社/八幡社
御祭神 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕
応神天皇〔おうじんてんのう〕
神功皇后〔じんぐうこうごう〕
仲哀天皇〔ちゅうあいてんのう〕
〈合祀〉
菅原道真〔すがわらのみちざね〕
大山祇命〔おおやまづみのみこと〕
市杵島姫命〔いちきしまひめのみこと〕
鎮座地 東京都世田谷区用賀二丁目16番26号
創建年代 天祖神社/不詳
宇佐神社/天正年間(1573~92)
社格等 旧村社
例祭 10月体育の日の前日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月11日/紀元祭
旧2月初午の日/初午祭
3月26日/祈年祭
11月29日/新嘗祭
12月30日/大祓
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□東急田園都市線「用賀駅」より徒歩約4分

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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