昔の納経帳・集印帖– category –
江戸時代・明治・大正・昭和の納経帳や集印帖に収められた納経・御朱印の紹介
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昔の納経帳・集印帖
天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳(3)
この納経帳は天保11年(1840)旧11月から12月にかけて四国八十八ヶ所を巡拝したものである。冒頭に京都の仁和寺と東寺の納経があることから京都もしくはその近辺の人であろうと考えられる。四国霊場の納経は第78番道場寺(現在の郷照寺)から順打ちしてお... -
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天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳(2)
この納経帳は天保11年(1840)旧11月から12月にかけて四国八十八ヶ所を巡拝したものである。冒頭に京都の仁和寺と東寺の納経があることから京都もしくはその近辺の人であろうと考えられる。四国霊場の納経は第78番道場寺(現在の郷照寺)から順打ちしてお... -
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天保11年(1840)四国八十八ヶ所の納経帳(1)
この納経帳は天保11年(1840)旧11月から12月にかけて四国八十八ヶ所を巡拝したものである。冒頭に京都の仁和寺と東寺の納経があることから京都もしくはその近辺の人であろうと考えられる。四国霊場の納経は第78番道場寺(現在の郷照寺)から順打ちしてお... -
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明治38年(1905)四国八十八ヶ所の納経帳(讃岐)
この納経帳は、明治38年(1905)に四国八十八ヶ所を巡拝したものである。巡拝したのは女性だが、どこの人かはわからない。阿波の札所で重ね印をしているので、徳島県もしくは関西方面の人ではないかと思われる。 以下に讃岐国(65番雲辺寺を含む)の札所を... -
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明治38年(1905)四国八十八ヶ所の納経帳(伊予)
この納経帳は、明治38年(1905)に四国八十八ヶ所を巡拝したものである。巡拝したのは女性だが、どこの人かはわからない。阿波の札所で重ね印をしているので、徳島県もしくは関西方面の人ではないかと思われる。 以下に伊予国の札所を見ていく。伊予の札所... -
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海外廃絶神社の御朱印
戦前、樺太・台湾・朝鮮などの外地、及び満州国や中華民国に創建され、終戦後に廃絶した神社の御朱印。 作成に当たっては神奈川大学非文字資料研究センターの「海外神社(跡地)に関するデータベース」を参考にさせていただいています。 朝鮮 朝鮮神宮 御祭... -
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明治38年(1905)四国八十八ヶ所の納経帳(土佐)
この納経帳は、明治38年(1905)に四国八十八ヶ所を巡拝したものである。巡拝したのは女性だが、どこの人かはわからない。阿波の札所で重ね印をしているので、徳島県もしくは関西方面の人ではないかと思われる。 以下に土佐国の札所を見ていく。土佐国は24... -
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明治38年(1905)四国八十八ヶ所の納経帳(阿波)
この納経帳は、明治38年(1905)に四国八十八ヶ所を巡拝したものである。巡拝したのは女性だが、どこの人かはわからない。阿波の札所で重ね印をしているので、徳島県もしくは関西方面の人ではないかと思われる。 以下に阿波国(徳島県)の札所を見ていく(... -
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文化10年(1813)西国三十三所の納経帳(後半)
この納経帳は、文化10年(1813)に阿波国板野郡大寺村の三橋茂兵衛と母のフサが西国三十三所と信州善光寺を巡拝したときのものである。以下に、この納経帳の後半の詳細を見ていく。 播磨国の書写山から巡拝をはじめた茂兵衛とフサは、丹後・北近江... -
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文化10年(1813)西国三十三所の納経帳(前半)
この納経帳は、文化10年(1813)に阿波国板野郡大寺村の三橋茂兵衛と母のフサが西国三十三所と信州善光寺を巡拝したときのものである。以下に、この納経帳の前半の詳細を見ていこう。 前半は西の比叡として知られる書写山円教寺の女人堂から始まり、播磨か...