花園神社は新宿の総鎮守として崇敬されている。社伝によれば徳川家康の江戸入府以前の創建で、大和国の吉野山から勧請されたと伝えられる。寛永年間(1624~44)現社地に遷座、この地が尾張藩下屋敷の花園の跡であったことから「花園稲荷」と呼ばれるようになったという。甲州街道に内藤新宿が開かれると、その氏神とされた。
正式名称 | 花園神社〔はなぞのじんじゃ〕 |
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御祭神 | 倉稲魂命 日本武尊 受持神 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都新宿区新宿5-17-3 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.hanazono-jinja.or.jp/ |
御朱印
平成17年拝受の御朱印。中央上の朱印は桜の花に「花園」の神紋、下は「花園神社」。
御由緒
花園神社は徳川家康江戸入府以前の創建とされ、大和国の吉野山から勧請されたと伝えられる。もとは250メートルほど南の場所に鎮座していたが、寛永年間(1624~44)、現社地に遷座したという。
新しい社地は尾張藩下屋敷の花園があった場所で、それに因んで花園稲荷と呼ばれるようになったという。別当が新義真言宗の稲荷山三光院であったことから三光院稲荷とも、鎮座地から四谷追分稲荷とも呼ばれた。
尾張徳川家の崇敬厚く、藩主の参拝もたびたびであり、元禄11年(1698)、正徳2年(1712)には社殿を造営している。また、甲州街道に内藤新宿が開かれると、その総鎮守として信仰を集めた。
明治の神仏分離令に伴い、別当三光院は廃絶。本尊は本寺の愛染院に移され、住職は復飾して神前に奉仕するようになった。この時、社名を稲荷神社としたが、大正5年(1916)花園稲荷神社と改めた。
昭和3年(1928)昭和天皇の御大典に際して郷社に昇格、また現在の新宿4丁目にあった雷電稲荷神社を合祀した。
当社は祝融の災に遭うことたびたびで、享和3年(1803)、明治10年(1877)に社殿全焼、昭和20年(1945)にも米軍の空襲により烏有に帰した。
昭和40年(1965)社殿の新築に際し、末社の大鳥神社を合祀、花園神社と称するようになった。
写真帖
見どころ
■芸能浅間神社
江戸時代から芝居や舞踊の興業と関わりが深く、芸能関係者からの奉納が多いことで知られる。
■威徳稲荷神社
戦争で資料が焼失したため詳細は不明だが、女性の参拝者が多いという。
メモ
新宿東口の繁華街や歌舞伎町からほど近いこともあり、参拝者が絶えない。また、境内でくつろいでいる人も多い。外国人の姿がよく目に付くのも場所柄故であろうか。
御朱印拝受(※平成17年)は職場が新宿にあった頃以来、約8年ぶりの参拝。例大祭の翌日で、境内にはテントや提灯など、祭の名残が残っていた。
拝殿には中央に「花園神社」向かって左に「雷電神社」、右に「大鳥神社」の額がかかる。本殿も三つの扉があるようで、賽銭箱にも花園神社の「抱き稲」、雷電神社の「三つ巴」、大鳥神社の「鳳凰の丸」の神紋が打ってある。
古札納め所は「納大明神」となっており、腹の立つことなども納めてください、とのことである。
花園神社の概要
名称 | 花園神社 |
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旧称 | 花園稲荷神社 稲荷神社 三光院稲荷 四谷追分稲荷 花園社 |
御祭神 | 倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 受持神〔うけもちのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都新宿区新宿五丁目17番3号 |
創建年代 | 天正18年(1590)以前 |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 5月28日前後の日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月8日/湯花祭 1月成人の日/成人式 2月3日/節分追儺式 2月初午の日/初午祭 2月11日/建国祭 6月30日/夏越大祓 7月1日/芸能浅間神社山開き 8月1日・2日/盆踊り 11月酉の日/酉の市 12月31日/年越大祓 |
交通アクセス
□丸ノ内線・副都心線・都営新宿線「新宿三丁目駅」E2出口より徒歩すぐ
□JR「新宿駅」より徒歩7分