旗岡八幡神社

旗岡八幡神社

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
通称 旗岡八幡神社〔はたがおか はちまんじんじゃ〕
御祭神 誉田別命 比売大神 息長帯比売命
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都品川区旗の台3-6-12 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://hatagaokahachiman-jinja.jp/

【由緒概要】
中延村の鎮守。長元3年(1030)平忠常の乱を平定するために派遣された源頼信が当地に陣を敷いたとき、神威を感得して八幡大神を奉斎したことに始まる。鎌倉時代、頼信庶流の荏原義宗が社殿を造営した。また、その二男・朗慶上人(日朗上人の弟子で九老僧に数えられる)が法蓮寺を開き、当社の別当とした。江戸時代は武士や大奥の女中の崇敬が厚かったという。

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旗岡八幡神社の御朱印

  • 旗岡八幡神社の御朱印

    (1)

  • 旗岡八幡神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに「旗岡八幡神社」。

(2)平成28年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成17年のものと同じ。

旗岡八幡神社について

名称 八幡神社
通称 旗岡八幡神社
旧称 中延八幡宮
御祭神 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕
比売大神〔ひめおおかみ〕
息長帯比売命〔おきながたらしひめのみこと〕
鎮座地 東京都品川区旗の台三丁目6番12号
創建年代 長元3年(1030)
社格等 旧郷社
例祭 9月第1土・日曜日(第1土曜・第2日曜の年もあり)
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月立春の前日/節分祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭・崇敬者大祭
6月30日/夏越の大祓式
11月23日/新嘗祭
12月27日/年越の大祓式
文化財 〈国登録有形文化財〉絵馬殿

御由緒

長元元年(1028)常陸介平忠常が起こした反乱は房総三ヶ国を巻き込み、争乱は長引いた。同3年(1030)朝廷から派遣された源頼信(源満仲の子、八幡太郎義家の祖父)は、この地に宿営したとき、神威を感得し、八幡大神を奉斎した。源氏の白旗をなびかせて戦勝を祈願したことから、この地を「旗岡」あるいは「旗の台」と称するようになったという。

鎌倉時代の中頃、頼信庶流の末裔で、当地を領有した荏原左衛門尉義宗が社殿を造営した。また、義宗は日蓮宗に帰依し、次男の徳次郎を日蓮聖人の高弟・日朗上人の弟子とした。これが九老僧に数えられる越中阿闍梨・朗慶上人で、当社に隣接する八幡山法蓮寺を開き、以後、長く法蓮寺が別当として当社を護持した。

以来、武家の尊崇篤く、毎年2月15日には各地から集まった武士たちによって弓の競射が行われた。また、文化11年(1814)の社殿の大改築には大奥の女中達の寄進があったという。この社殿は権現造りの立派なもので、格天井に描かれた140枚の絵は幕府の絵師・狩野探玄が娘の病気が平癒したことに感謝して奉納したものであった。

昭和3年(1928)御大典を記念して郷社に昇格した。

昭和20年(1945)空襲により社殿等が焼失。現在の社殿は同39年(1964)に再建されたものである。鉄筋コンクリート造で、本殿は八幡造。

新編武蔵風土記稿

八幡社

除地二千三百六十八坪。村の巽の方にあり。社殿に云、神体は長元三年源頼信感得の像にて、それより頼義、義家に伝へ、其庶流荏原義宗に伝はりしに、文永年中霊夢の告を得て、日蓮上人を請じて当社を勧請すと。本社三間に二間、拝殿五間に三間。拝殿と表門との中間に鳥居立り。
妙見堂 境内にあり。二間に九尺。
毘沙門堂 三間に二間。瘡守稲荷を配祀す。

荏原町誌

村社中延八幡宮

町の東南に位して別称旗岡八幡宮と云ふ、古書には八幡除地二千三百六十八坪とあり、境内幽邃、老樹鬱然として相茂り、万緑深翆大古の俤を偲ばしめ、その規模の宏壮なる、建築の高雅なる事、自ら神威の尊厳を示し、以て人をして襟を正さしむるもの実に東都南境の大社として人口に膾炙されるも宜なるかなである、祭神は応神天皇にましまし長元三年時の鎮守府将軍源満仲の子頼信が陣に於て感得し戦勝の守護神として子孫に伝へたる源家景の神霊を、義家の庶流たる我が荏原の領主左衛門尉義宗が文永年中霊夢の告げを受けて日蓮上人を請じ、同十年当社に勧請したものである、当社に旗岡八幡宮の別称があるのは、前述長元三年庚午、千葉之介平忠常乱を千荒に起したる時、源頼信之が追討の勅令を受けて中延南隅の一丘旗の台に陣を布き守護の霊神を奉祀して大捷を博したと云ふのがその起りである、元隣接の法蓮寺は当社の別当を司つて居たものであるが、明治五年十一月社寺分離の勅令により関係を別にして郷社となつたのである。

昭和大礼東京府記録

東京府荏原郡荏原町中延八百五十二番地鎮座
郷社 八幡神社

文永年間当荏原郡領主荏原左衛門尉義宗ノ創設ナリト伝へラル爾来新田・足利等源家武士ノ尊崇厚ク徳川氏時代ニ至リテハ大奥ノ崇敬殊ノ外深ク社殿ノ改修築セラルヽコト数次ニ及ヒ現在ハ荏原町大字中延ノ産土神トシテ神殿ノ規模・神域ノ風致・境内ノ設備全ク整ヒ氏子戸数四千八百戸基本金壹萬余円ニ及ヒ茲ニ昭和三年十月二十九日郷社ニ列格セラル。

写真帖

  • 大鳥居

    大鳥居

  • 北側参道の鳥居

    北側参道の鳥居

  • 絵馬殿

    絵馬殿(国登録有形文化財)

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

拝殿の前に立派な桜の木がある。ところが、立派であるがために、写真を撮ろうとすると、葉桜になると拝殿がまったく見えなくなる。葉が散って、拝殿が見えるようになっても、張り出した太い枝の存在感で、写真としてはおもしろくない。そこで、桜の花が満開となった3月終わりの週末、写真を撮るために三度目の参拝。やはり見事な桜だった。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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