戸越八幡神社

戸越八幡神社

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
通称 戸越八幡神社〔とごし はちまんじんじゃ〕
御祭神 誉田別命 
社格等 旧村社
鎮座地 東京都品川区戸越2-6-23 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://togoshihachiman.jp/

【由緒概要】
戸越村の鎮守。社伝によれば、大永6年(1526)村内の藪清水の水源地から八幡大神の御神体が出現し、行永法師が草庵に奉安したことに始まる。文禄元年(1593)別当・行慶寺の開山・念誉上人が八幡宮を建立して御神体と本地仏の阿弥陀如来を奉安。元禄元年(1688)行慶寺の覚誉上人が現社地に社殿を建立・遷座した。

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戸越八幡神社の御朱印

  • 戸越八幡神社の御朱印

    (1)

  • 平成28年7・8月の御朱印

    (2)

  • 平成28年7・8月の御朱印

    (3)

  • 平成28年例大祭の御朱印

    (4)

  • 平成28年9・10月の御朱印

    (5)

  • 平成28年9・10月の御朱印

    (6)

(1)平成17年拝受の御朱印。揮毫・朱印ともに「戸越八幡神社」。

(2)(3)平成28年7・8月限定の御朱印。中央の印は「戸越八幡神社」、右上に三つ巴、その下に「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸のとけぬ日はなし」の古歌、左下に鯛の添印。(2)と(3)は中央の印と鯛の印が色違い。

(4)平成28年例大祭の御朱印。中央上に金の三つ巴、右に金文字で「開運招福」、左下に「戸越八幡神社」。

(5)(6)平成28年9・10月限定の御朱印。三つ巴・古歌が色が変わっている。左下に「福」と猫。

戸越八幡神社について

名称 八幡神社
通称 戸越八幡神社
旧称 八幡社 戸越八幡宮 一本杉八幡
御祭神 誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕
鎮座地 東京都品川区戸越二丁目6番23号
創建年代 大永6年(1562)
社格等 旧村社
例祭 9月第2日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月上午の日/初午祭
2月17日/祈年祭
5月5日/菖蒲祭
6月30日/大祓式
8月15日/忠魂碑慰霊祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓式

御由緒

戸越村の鎮守。江戸時代までの別当寺は隣接する八幡山行慶寺であった。

「江戸越えて清水の上の成就庵 ねがひの糸のとけぬ日はなし」という古歌があり、戸越の地名の由来とされる。この成就庵は村内の一本杉と呼ばれた土地にあった草庵で、藪清水の池を控えて遠近の参詣者を集めていたという。

社伝によれば、大永6年(1526)行永法師が諸国行脚の途中で草庵に立ち寄り、夢で藪清水から光が放たれているのを見た。法師が池の中を探すと八幡大菩薩の御神体が現れた。そこでここに小祠を建て、山城国男山の石清水八幡宮の御分霊を勧請してお祀りしたと伝えられる。

文禄元年(1593)行慶寺の開山・念誉上人がその地に八幡宮を建立し、八幡大菩薩の御神体と本地仏の阿弥陀如来を奉安した。元禄元年(1688)行慶寺の覚誉上人によって現社地に遷座し、末社の春日社と稲荷社を建立した。

現在の社殿は安政2年(1855)の改築という。

新編武蔵風土記稿

八幡社

除地二段五畝十五歩、村の東にあり。神体は木像にて長五寸許の坐像なり。村内字藪清水と云所より出現すと云伝ふ。勧請の年月詳ならず。村の鎮守にて、毎歳九月二十八日神楽を奏す。本社九尺四方。前に拝殿あり、四間に二間半。それより二町許の間は両側に松杉の並木連り、其中央に石の鳥居をたつ。行慶寺別当せり。

荏原町誌

村社戸越八幡宮

字戸越の中央に位し、社殿奥深く築かれて尊崇の気分が自然に迫つて来る、山城国男山八幡宮の分神を主神とし、今の戸越本通りで藪清水と云ふ池から出現したと伝へらるる行永法師丈五寸許りの坐像を祀る、其作は聖徳太子となり、勧請の年月は詳かでないが天文年間と云ふ説には根拠があるらしい、昔からの戸越村の鎮守として毎年九月二十八日神楽を奏すとあり、隣地の行慶寺は当社の別当であつたが中延八幡宮と同じく明治五年分立したものである。

荏原区史

戸越八幡神社(一本杉八幡)(村社、東戸越二丁目一、〇一八番地)

古歌に
 江戸越えて清水の上の成就庵
   ねがひの糸のとけぬ日もあり
とある。
是が「戸越」の地名の始まりであると伝へられてゐる。此の成就庵は昔俗称一本杉の字名のある所の庵寺で、藪清水の池を控へて一般の信仰を集め遠近より参詣するもの多く、天文年間行永法師諸国行脚の節、此の庵寺に立寄り、折柄十五夜の明月に時を移し、転寝して夢に燦爛たる光を藪清水の池より放つのを見た。即ち法師は池を捜索して誉田別命の御神体の出現を見、畏み戴いて茲に小祠を建てゝ祀つた。今の一本杉は其の跡であると伝へてゐる。(戸越町六九三番地)
其の後徳川幕府の検地の節、社地として二反五畝十五歩の御朱印を授かり、元禄元年十二月十五日、覚誉上人今の所に喜居〔※宮居か?〕を移し再建した。

八幡宮出現鎮座並当山基立濫觴記

抑々当山に勧請し奉る八幡宮は山城国男山八幡宮の分神にして霊験あらたかなる御神体なり。
往古。人皇百四代後柏原院の御宇にあたりて大永六戌年の夏なりしが、当国はいまだ村里も稀にして其のころ当所はようやく五六家の家居をなせり。中にもこの街道豆相の間道にして常に旅程の往還あり。其の頃当山行慶寺は今いふ池の上地蔵堂の地に一つの草庵あり。常に旅人苦難の思ひをさとり草庵のかたわらに施行所をかまへ、冬は白湯を施して寒冷をたすけ、夏は清水を施して暑熱を救へり。しかるに同年秋の初の事なりしが、或日の夕暮、山伏体の男来りて云ふよふ。己れは東国旅仁のものなり、水に渇して難儀せり、願はくは清水を得させよと請ふ。庵主ものいふに委せて草庵の戍亥なる清水を汲みてあたふ。彼男礼して是を請けて曰、此水いづれの神水なるや、実に秀水なりと、庵主答へて曰く「此の地に涌出る所の清水なり」と、亦彼山伏の男曰く、願はくは清水の源を拝せんと乞ふ。即ち乞ふに委せて其源にいざなふ。頂拝して曰く、汝多年善行をつみ殊に念仏修行怠らず、常に旅人に渇水を施し、衆人牛馬の苦労を救ふこと年久し、依つてこれを諸神天帝に乞ふて汝に此の神水をあたへたまふぞよ。日ならずして応護の神体出現まします事あらん。疑ふべからず。我は旅程を急ぐとて、裾をはらふて去りぬ。
不思議なるかな、同年八月十五日の夜一天晴朗にして静なるに此の清水大いに涌出数仭をなし、土砂と水とをことごとくまきあげ、水中に一体の神像出現したまへり、庵主奇異の思ひをなし拝して是を見奉るに八幡大菩薩の神像なり。深く信敬し、草庵に安置し奉る所、近隣の人民はいふも更なり。往来の諸人は諸願を希ふもの多かりしに一つとして成就せずといふことなし。
故に、諺に人は此の草庵を清水の上の成就庵といひ伝ふ。其後慶長十一年午年東都鳳城は繁昌の地となり、其の四郊の野原に至るまで其数いやまし、村里堺域を極めて百民のもとたる道を興さんと欲するもの数多なり。就中江戸の南浦の駅路の中にわたりて村里をなす故に江戸を、越えて明けき村といふ。通称をとりて戸越の村号となせり。然るに神像出現の跡は池の上杉の木の本也。昔しるしの杉を植ゑて神像出現の霊跡となせり。其の杉古木を伐るといへども又若生し今にその杉の木あり。神像出現の砌は彼の草庵に安置し、其後当山は寛永十一年戌年の御検地の節に除地の公命こひ奉り、社地に定り、其後当寺覚誉上人の代元禄元辰年十二月十五日、今の宮居を再建し鎮座し奉る所なり。かくのごとく明拠顕然として清水井の中より出現したる尊像にましませば武運万民豊楽神徳を仰ぎ奉るべし
 杉の木の道のり
  品川宿より   十五丁程
  目黒不動尊より  八丁程
武州荏原村戸越八幡山成就院行慶寺
 寛永二十年末年九月
     (原文のまゝ写す)

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 地名の碑

    戸越の地名の起こりの碑

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 宮神輿

    宮神輿

  • 忠魂碑

    忠魂碑

  • 稲荷社

    稲荷社

  • 春日社

    春日社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

住宅地の中にあり、それほど広い境内というわけではないが、参道から社殿の周囲まで大きな樹木おおく、緑の多い境内である。平成28年より御朱印が大きく変更された。1ヶ月または2ヶ月毎に配色や添印が変わり、人気を集めているようだ。


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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