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荏原金刀比羅神社 | 東京都品川区

荏原金刀比羅神社

安永元年(1772)讃岐高松藩の家臣・岡田永清が高松港の発展と海上安護のため、高松に金刀比羅宮の御分霊を勧請したことに始まる。昭和5年(1930)東京の金刀比羅宮崇敬者の要望により、東京府荏原郡荏原町の現社地に遷座した。昭和21年(1946)神社本庁所属の神社として認可を受けた。

正式名称 荏原金刀比羅神社〔えばら ことひらじんじゃ〕
御祭神 大物主神 崇徳天皇
社格等
鎮座地 東京都品川区荏原1-16-4 [Mapion|googlemap]
品川区の神社
東京都品川区の神社の御朱印。品川神社・荏原神社・旗岡八幡神社・鹿嶋神社・上神明天祖神社・下神明天祖神社・天祖諏訪神社・戸越八幡神社・小山八幡神社・三谷八幡神社・居木神社・貴船神社・鮫洲八幡神社・荏原金刀比羅神社・大井蔵王権現神社
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御朱印

  • 荏原金刀比羅神社の御朱印

    (1)

  • 荏原金刀比羅神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「荏原金刀比羅神社」、右下は品川神社巡りのスタンプ。

(2)平成24年拝受の御朱印。中央の朱印は平成17年のものと同じ「荏原金刀比羅神社」。

御由緒

当社の創建については、安永元年(1772)讃岐国高松で創建、昭和5年(1930)東京府荏原町に遷座とする資料と、昭和21年(1946)創立とする資料がある。

『東京都神社名鑑』や境内の掲示によれば、安永元年(1772)讃岐国高松城主・松平頼久(第6代高松藩主・松平頼真の間違いか?)の命により、家臣・岡田永清が高松港の発展と海上安護のため象頭山金毘羅大権現(金刀比羅宮)の御分霊を奉斎したことに始まる。

昭和5年(1930)1月10日、金毘羅信仰が全国的に広がる中、崇敬者の熱望を受け東京府荏原町の現社地に遷座したという。

一方、『平成「祭」データ』によれば、昭和21年(1946)6月22日、荏原金刀比羅教会として金刀比羅宮の御分霊を奉斎。同年8月12日、宗教法人令により神社本庁所属の神社として認可されたとする。品川区公式サイトの区内寺社一覧でも昭和21年創立としている。

当時の状況を確認できる資料がないため正確なところはわからないが、昭和5年から21年までは教派神道の教会、もしくは非公認の私的な社として活動していたのではないかと思われる。昭和21年に宗教法人となり、神社本庁傘下の神社として活動するようになったのであろう。

昭和20年(1945)の戦災では、周囲が焼け野原になる中で当社の社殿のみが被害を受けなかったため、より一層信仰を集めるようになったという。

資料

平成「祭」データ

讃岐国金刀比羅宮、崇敬者は遠隔地故、毎月10日縁日参拝に不自由であった為東京都に分社として奉斉、年一回本宮に参拝旅行している。創立、昭和21年6月22日元荏原金刀比羅教会と称し讃岐国元官幣大社〔※正しくは国幣中社〕金刀比羅宮霊を奉斎す。昭和21年8月12日宗教法人令に依り神社本庁所属神社として認可された。

写真帖

  • 全景

    全景

  • 手水舎

    手水舎

  • 紫水晶

    紫水晶の原石

  • 社殿

    社殿

  • 社殿

    社殿

メモ

中原街道沿いにある小さなお社。目の前に首都高の荏原インターがある。狭いながらも手入れの行き届いた境内で、崇敬者から奉納されたらしい紫水晶の原石が目を惹く。
初めての参拝時はあまり御朱印を頼まれることもなかったようで、対応も少し戸惑ったような感じだったが、非常に気さくで親切にしていただいた。2度目の参拝時には御朱印を頼む方も増えていたようで、対応もスムーズになっていたが、気さくで親切な対応は変わっていなかった。氏子を持たない崇敬神社ということもあるだろうが、参拝者を大切にするという姿勢が伝わってくる神社である。

荏原金刀比羅神社の概要

名称 荏原金刀比羅神社
通称 荏原のこんぴらさま
旧称 荏原金刀比羅教会
御祭神 大物主神〔おおものぬしのかみ〕
崇徳天皇〔すとくてんのう〕
鎮座地 東京都品川区荏原一丁目16番4号
創建年代 安永元年(1772)讃岐国高松港に鎮座
昭和5年(1930)東京都荏原郡(現社地)に遷座
昭和21年(1946)神社本庁所属神社として認可
社格等
例祭 10月10日(秋季例大祭)
神事・行事 1月10日/初こんぴら
2月節分/節分豆蒔追儺式
5月10日/春季例大祭

交通アクセス

□東急池上線「戸越銀座駅」より徒歩約7分
□JR山手線・都営浅草線「五反田駅」より徒歩約15分

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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