広尾稲荷神社は、慶長年間(1596~1615)徳川秀忠が当地で鷹狩りをした折、稲荷神を勧請したことに始まる。千蔵寺持ちであったことから千蔵寺稲荷、萩の花が舐めるように咲き乱れていたことからハギナメ稲荷と呼ばれたという。拝殿は弘化4年(1847)の再建で、天井には日本の洋画の先駆者・高橋由一が描いた龍の図がある(港区有形文化財)。
正式名称 | 広尾稲荷神社〔ひろおいなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 倉稲魂命 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都港区南麻布4-5-61 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は八稜鏡に「廣尾稲荷神社」。
御由緒
広尾稲荷神社は、社伝によれば慶長年間(1596~1615)徳川秀忠が鷹狩りをした折、この地に稲荷を勧請したことに始まるとされる。麻布宮村町の法隆山千蔵寺(明治に川崎市に移転)が別当であったことから千蔵寺稲荷、萩の花が地を舐めるように咲き乱れていたことからハギナメ稲荷と呼ばれたという。明治42年(1909)現社号に改称。
弘化2年(1845)の青山火事により社殿が焼失、同4年(1847)再建された。現在の拝殿はこの時のものである。また、この時造営された本殿は防災上の配慮から土蔵造りとされたが、大正12年(1923)の関東大震災で著しく破損したため、同14年(1925)木造の現本殿が再建された。昭和20年(1945)の戦災は免れている。
なお、拝殿天井の龍の画は、日本の洋画の先駆者である高橋由一が青年時代に描いた日本画の大作である。由一の使えていた堀田摂津守の下屋敷が廣尾稲荷に隣接していた縁で、弘化4年の再建時に天井画を描くことになったという(港区指定文化財)。
平成2年(1990)左翼過激派の時限発火装置による放火があった。初期の発見消火により全焼を免れたが、都内では貴重な江戸期の建築物である拝殿が被害を受けた。
徳川綱吉が造営した富士見御殿(白銀御殿)の鎮守・富士見稲荷を廣尾稲荷とする説があるが、由緒書によれば別のものであるという。富士見稲荷の旧跡はドイツ大使館の敷地内にあり、第一次大戦後まで祭祀も行われていたという。現在、富士見稲荷の御神像は廣尾稲荷に安置されているとのこと。
写真帖
メモ
鎮座地は高級住宅地として有名な南麻布(旧・麻布広尾町)、有栖川宮記念公園近くである。付近には各国の大使館が点在し、外国人の多い地域としても知られる。落ち着いた佇まいの、何となく昔懐かしい感じのお社である。
廣尾稲荷神社の概要
正式名称 | 広尾稲荷神社 |
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旧称 | 千歳寺稲荷 ハギナメ稲荷 |
御祭神 | 倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕 〈相殿〉 富士見稲荷〔ふじみいなり〕 |
鎮座地 | 東京都港区南麻布四丁目5番61号 |
創建年代 | 慶長年間(1596~1615) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月節分/節分祭 2月上午の日/初午祭 5月5日/春季例祭 6月25日/大祓 12月25日/大祓 12月31日/除夜祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□広尾駅(日比谷線)より徒歩3分