櫻田神社

櫻田神社

櫻田神社は、治承4年(1184)渋谷庄司重国が源頼朝の命により霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に奉斎したことを創祀とする。かつては霞山稲荷明神と称した。文治5年(1189)頼朝が奥州征伐の奉賽として30貫の田畑を寄進、その境界に桜を植えたことから桜田村の名が起こったという。寛永元年(1624)江戸の町の整備に伴って氏子ともども麻布の現社地に遷座した。

正式名称 櫻田神社〔さくらだじんじゃ〕
御祭神 豊宇迦能売大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都港区西麻布3-2-16 [Mapion|googlemap]
鎮座地 六本木(日比谷線・都営大江戸線)
乃木坂(千代田線)
麻布十番(南北線・都営大江戸線)
バス停:六本木六丁目・EXシアター六本木前・西麻布
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御由緒

櫻田神社は、治承4年(1180)源頼朝の命により渋谷庄司重国が霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に祀ったことに起こるという。古くは霞山稲荷大明神と称した。

文治5年(1189)奥州征伐の奉賽として、源頼朝より30貫の田地を寄進された。この御神田の境界に桜を植えたところ、その桜が見事に咲き誇ったことから「桜田」と讃え、村の名も桜田村と称したとされる(※ただし、桜田郷の名はすでに平安時代の『和名類聚抄』に見えるという)。

文明年間(1469~87)には太田道潅が社殿を再興し、太刀甲冑を奉納した。長く社宝として伝えられていたが、弘化2年(1845)の青山火事で焼失したという。

寛永元年(1624)江戸の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から現社地に遷った。別当は霞山桜田寺観明院(現・廃寺)で、本尊の荼枳尼天は源義国(源義家の子で、新田・足利氏の祖)の守り本尊であったという。

因みに江戸城桜田門は桜田郷の名に因む。また、現在の西新橋1丁目の一部(芝桜田)はかつての桜田村の一部であり、現在も桜田神社の氏子である。

明治5年(1872)村社に列格、同28年(1895)現社号に改称。昭和20年(1945)の戦災で社殿等灰燼に帰したが、同26年(1951)に再建、同50年(1975)改築した。

なお、付近にあった奥州白河藩邸で出生した沖田総司は当社に初参りをしたとされ、新撰組のファンの参拝も多いという。

御朱印

  • 櫻田神社の御朱印

    (1)

  • 櫻田神社の御朱印

    (2)

  • 寿老神の御朱印

    (3)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「櫻田神社」、左下は「霞山」。

(2)平成26年にいただいた書き置きの御朱印。中央の朱印は「櫻田神社」で、以前のものとほぼ同じだが、新調したもののようだ。右上に三つ巴の神紋、左下は「霞山」

(3)港七福神の寿老神の御朱印。平成19年拝受。

写真帖

  • 鳥居

    一の鳥居

  • 参道

    参道

  • 手水舎

    手水舎

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 拝殿

    拝殿

  • 境内社

    境内社

メモ

初めての参拝時、ちょうど夕立となり、社務所にて雨宿りをさせていただいた。宮司さん(先代の?)の奥様が対応して下さって、しばしいろいろな話をした。沖田総司が初参りをしたということで知られており、新撰組のファンがよく参拝するそうである(ちょうど一緒に雨宿りした二人連れもそうだったらしい)。六本木ヒルズができてからは、外国人の参拝も増えたそうだ。

櫻田神社の概要

名称 櫻田神社
旧称 霞山稲荷大明神 霞山稲荷神社
御祭神 豊宇迦能売大神〔とようかのめのおおかみ〕
鎮座地 東京都港区西麻布三丁目2番17号
創建年代 治承4年(1180)
社格等 旧村社
例祭 9月22日
神事・行事 6月30日/大祓式・道饗祭・鎮火祭
12月31日/大祓式・道饗祭・鎮火祭
巡拝 港七福神(寿老神)

交通アクセス

□六本木駅(日比谷線)より徒歩5分
□六本木駅(都営大江戸線)より徒歩8分
□乃木坂駅(千代田線)より徒歩12分
□麻布十番駅(南北線・都営大江戸線)より徒歩13分


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