大崎総鎮守を称する。旧居木村の鎮守。創建年代は不詳だが、古くは雉子ノ宮と呼ばれた。江戸時代の初め、目黒川の氾濫を避けて高台の現社地に遷座した。この時、村内の貴船明神・春日明神・子権現・稲荷明神を合祀して五社明神と称するようになった。明治5年(1972)居木神社と改称。旧社殿は戦災で焼失し、現在の社殿は昭和53年(1973)に再建されたものである。
正式名称 | 居木神社〔いるぎじんじゃ〕 |
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御祭神 | 日本武尊 〈相殿〉高龗神 大国主命 倉稲魂命 天児家根命 菅丞相(菅原道真) 〈合祀〉手力雄命 淀姫命 大山咋命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都品川区大崎3-8-20 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://irugijinjya.jp/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は社頭風景と「大崎鎮座 居木神社 参拝記念」。
(2)平成26年拝受の御朱印。大きめの朱印が使われており、現在は通年対応の御朱印となっている。
(3)平成28年拝受の御朱印。月替わりで授与しているもので、その月に因んだ印が添えられる。これは8月で、例大祭に因む太鼓と御神輿。
摂末社の御朱印
(1)末社・厳島神社の御朱印、平成28年拝受。朱印は「厳島神社」。
(2)末社・稲荷神社の御朱印、平成28年拝受。朱印は「稲荷神社」と神狐。
御由緒
旧居木橋村の鎮守。旧別当は隣接する天台宗・金剛山観音寺。大崎総鎮守を称する。
創建年代は不詳。『新編武蔵風土記稿』によれば、古くは居木橋村の西北にあった。江戸時代の初め、目黒川の氾濫を避けるため村の東南の現社地に遷座したという。この時、村内に祀られていた貴船明神・春日明神・子権現・稲荷明神を配祀し、五社明神社と称するようになった。
なお『大崎町誌』(昭和7年)は、推古天皇の御代、南天竺の名木が淡路島に流れ着き、これを当地に祀ったので居木の地名を称するようになったという伝承を紹介している。
明治5年(1872)社号を居木神社と改称、翌6年(1873)村社に列格した。同29年(1896)と同42年(1909)には村内の稲荷神社・川上神社・本邨神社が合祀された。
昭和8年(1933)旧社殿が落成するが、同20年(1945)空襲により焼失。現在の社殿は昭和53年(1978)に再建されたものである。
境内末社の厳島神社は旧居木橋村の名主・松原家の屋敷神として祀られていたもので、品川区の文化財に指定されている。江戸時代後期のものと推定される社殿には彩色された彫刻が施され、保存状態も良好である。
資料
新編武蔵風土記稿
五社明神社
除地三段六畝村の東南にあり。古は村の西北にありしか水溢の憂を避て今の地へ移れり。旧蹟には松の大樹残れり。これ前にいへる「ゆるぎの松」と称するものなり。今の社地は土地高くして喬木茂りあへり。本社三間半に三間。祭神は雉子大明神なり。当所遷座のとき、村内に祀りし祠、貴船明神、春日明神、子権現、稲荷明神の四座を配祀して一社とす。故に五社明神と号す。本社の前に拝殿あり、二間四方。石階十五段を下りて石の鳥居を立つ。祭礼毎年九月二十三日、村民神楽を執行す。当所鎮座の年代は詳らかならず。当所へ遷座ありしは百七十年前の事也。観音寺持。
写真帖
メモ
JR大崎駅からほど近い、小高い丘の上に鎮座する。狭い参道を進むと石段がある。石段の横は黒ボク石が積まれ、富士塚になっている。
近年、通年対応の御朱印の他に毎月限定の御朱印を授与するようになった。6ヶ月分、1年分拝受した方には記念品が贈られるとのことである。
居木神社の概要
名称 | 居木神社 |
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旧称 | 雉子ノ宮 五社明神 |
御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 〈相殿〉 高龗神〔たかおかみのかみ〕 大国主命〔おおくにぬしのみこと〕 倉稲魂命〔くらいなたまのみこと〕 天児家根命〔あめのこやねのみこと〕 菅丞相〔かんじょうしょう〕(菅原道真) 〈合祀〉 手力雄命〔たぢからおのみこと〕 淀姫命〔よどひめのみこと〕 大山咋命〔おおやまくいのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都品川区大崎三丁目8番20号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月25日前後の金・土・日曜日(大崎祭) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月3日/元始祭 1月15日/どんど焼き 2月3日/節分祭(追儺行事) 2月11日/紀元祭・建国記念の日奉祝パレード 3月第1日曜日/稲荷神社・厳島神社例大祭(春まつり) 6月30日/夏越大祓 7月上旬/大祓形代流し行事 7月下旬/納涼祭(盆踊り大会) 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓祭・除夜祭 |
交通アクセス
□JR山手線「大崎駅」より徒歩約3分
□東急池上線「大崎広小路駅」より徒歩約7分