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鹿嶋神社 | 東京都品川区

鹿嶋神社

大井村の総鎮守。社伝によれば、安和2年(969)鹿島神宮から御分霊を勧請したことに始まる。かつては例祭の奉納相撲が盛んで、江戸郊外の三大相撲に数えられたという。豪壮な木造社殿は昭和6年(1931)の造営。その脇にある末社は文久2年に建造された旧本殿で、全体に見事な鎌倉彫が施されている。

正式名称 鹿島神社〔かしまじんじゃ〕
御祭神 武甕槌神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都品川区大井6-18-36 [Mapion|googlemap]
品川区の神社
東京都品川区の神社の御朱印。品川神社・荏原神社・旗岡八幡神社・鹿嶋神社・上神明天祖神社・下神明天祖神社・天祖諏訪神社・戸越八幡神社・小山八幡神社・三谷八幡神社・居木神社・貴船神社・鮫洲八幡神社・荏原金刀比羅神社・大井蔵王権現神社
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御朱印

  • 鹿嶋神社の御朱印

平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「大井 鹿島神社 参拝記念」、左下は「不老門」の碑を描いたスタンプ。

御由緒

大井村の総鎮守。社伝によれば、安和2年(969)常行寺(承応2年(1653)に大井から南品川に移転)の僧・尊栄法印が鹿島神宮より御分霊を勧請したことに始まるという。同時に隣接する旧別当・来迎院も創建されたが、明治の神仏分離によって独立した。

かつて、当社の祭礼で行われていた奉納相撲は大変盛大であった。渋谷氷川神社・世田谷八幡宮とともに江戸郊外の三大相撲として知られた。『大井町名鑑』(大正15年)によれば、遠方から泊まりがけで参加する人もあるほどで、当時、土俵の周囲に青竹をめぐらせるのは全国でも当社を含めて3ヶ所のみであったという。

現在の社殿は昭和6年(1931)の造営。文久2年(1862)に建造された旧本殿は鎌倉彫に覆われた見事なもので、本殿脇の覆舎の中に安置され、境内にあった6つの末社が合祀されている(『平成「祭」データ』では天祖神社となっている)。

南大井5丁目にある水神社は当社の境外末社で、江戸時代には九頭竜権現と呼ばれていた。ここに柳の清水といわれる霊泉がある。貞享年間(1684~87)干魃が続いたため、来迎院の住僧・栄往法印がこの水を加持水として鹿嶋神社で祈雨の神事を行ったところ、たちまち雨が降ってその年は豊作となった。以来、盛夏の頃に法楽の神事が執り行われたという。

資料

新編武蔵風土記稿

鹿島社

除地一段四畝。村の南方にあり。当村の鎮守なり。相伝ふ安和二年の頃、常陸国鹿嶋郡の鹿嶋明神を勧請せりと。本社九尺四方、拝殿七間に六間半、前に石の鳥居あり、柱間九尺許。拝殿の西北に二間に二間半の神楽堂あり、豊歳を祈んがため毎年六月中村民こぞりて神楽を奏す。九月十五日にも神事ありといふ。
末社稲荷社 弁天社 共に本社の側にあり。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 御神木

    御神木タブノキ

  • 不老門

    不老門碑

  • 末社

    末社・天祖神社(覆殿)

  • 末社(旧本殿)

    末社・天祖神社(旧本殿)

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

池上通り沿い、大森貝塚公園の北250mほどのところに鎮座する。鬱蒼とした木々で覆われた境内に、昭和6年の建築という木造の堂々たる社殿がたたずむ。
社号の表記について、御朱印や社号標をはじめ『平成「祭」データ』や東京神社庁のサイトなど、たいてい「嶋」の字を使っているのだが、東京都宗教法人名簿では「鹿島神社」となっている。当サイトでは、東京の宗教法人については宗教法人名簿に記載された名称を正式名称として扱っているため、当社についても「鹿島神社」を正式名称とする。

鹿嶋神社の概要

名称 鹿島神社(※東京都宗教法人名簿の表記に従う)
通称 鹿嶋神社 大井鹿嶋神社
旧称 鹿島社
御祭神 武甕槌神〔たけみかづちのかみ〕
鎮座地 東京都品川区大井六丁目18番36番
創建年代 安和2年(969)
社格等 旧村社
例祭 10月第3日曜日と前日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月節分/節分祭
2月11日/祈年祭・建国記念祭
6月28日/大祓
7月19日/中祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓

交通アクセス

□JR東海道本線・京浜東北線「大森駅」より徒歩約7分

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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