第59番 金光山 国分寺 | 愛媛県今治市

59番伊豫国分寺

聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つである。寺伝によれば行基菩薩の開基とされる。元は現在地より少し東にあり、現在も塔の礎石が残されている。第3世・智法律師の時に弘法大師が滞在し、五大尊明王の画像を奉納したと伝えられる。兵火のためにたびたび焼失し、その都度再興された。現在の本堂は寛政元年(1789)恵光上人によって再建されたものである。

名称 金光山 最勝院 国分寺
御本尊 薬師瑠璃光如来
本尊真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌 守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
所在地 愛媛県今治市国分4-1-33 [Mapion|googlemap]
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目次

伊豫国分寺の納経(御朱印)

59番伊予国分寺
(1)
59番伊予国分寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は蓮台上の宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「四国五拾九番」、左下は「伊豫之國別格本山國分寺印」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

(1)

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。版木押しで、「奉納大乗妙典」「本尊薬師如来」「豫州国分寺」。中央に宝印はなし。右上の印は「四国五拾九番」、右下は「伊豫国分密寺」。

(4)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「伊豫国 金光山国分寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「イヨ(伊豫)国分寺」。中央に宝印はない。右上の印は「四国五十九番」、左下は「伊豫國分密寺」。

略縁起

天平13年(741)聖武天皇の勅願により諸国に創建された国分寺の一つ。寺伝によれば、行基菩薩が下向して開創したという。『続日本紀』の天平勝宝8年(756)12月20日条に伊予国を含む26ヶ国の国分寺に法具などを下賜したとあることから、その頃には完成していたと考えられている。

元の伽藍は現在地より少し東にあり、境内から東100mほどのところに東塔(七重塔の)礎石が残っている(国の史跡)。全国でも屈指の規模を誇る伽藍であったらしい。

第3世・智法律師のときに弘法大師が滞在し、五大明王の画像を残した。また、真如法親王も当寺で法華経を書写して残したという。

その後、天慶の藤原純友の乱、源平の合戦、南北朝の動乱のために三度焼失したが、そのたびに領主等により再建された。しかし天正12年(1584)伊予に侵入した長宗我部の兵火にかかって炎上して後は、わずかに小庵が残るのみとなった。

現在の本堂は寛政元年(1789)恵光上人によって再建されたものである。境内は往時に比べて遥かに狭くなったとはいえ、堂々たる規模を誇る。近くには南朝の忠臣・脇屋義助(新田義貞の弟)の墓もある。

写真帖

握手修行大師
握手修行大師
鐘楼
大師堂
大師堂
本堂
本堂
塔跡
国分寺塔跡

伊豫国分寺の概要

山号 金光山(こんこうざん)
寺号 国分寺(こくぶんじ)
院号 最勝院(さいしょういん)
通称 伊予国分寺
御本尊 薬師如来
所在地 愛媛県今治市国分四丁目1番33号
創建年代 天平13年(741)
開山 行基菩薩
宗派等 真言律宗 別格本山
文化財 〈史跡〉伊予国分寺塔跡 〈県有形文化財〉紙本著色柳橋図 国分寺文書

交通アクセス

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