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第60番 石鈇山 横峰寺

60番横峰寺

名称 石鈇山 福智院 横峰寺
御本尊 大日如来
所在地 愛媛県西条市小松町石鎚甲2253 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん あびらうんけん ばざらだどばん

【御詠歌】
たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救ふものかな

【略縁起】
寺伝によれば、白雉2年(651)役行者小角が星ヶ森(横峰寺の奥の院)で修行中、石鎚山頂に蔵王権現を感得した。その姿をシャクナゲの木に刻んで安置したことに始まる。延暦年間(782~806)石仙菩薩が桓武天皇の脳病平癒の祈願を行い、菩薩号を賜ったという。大同年間(806~10)弘法大師が星ヶ森で厄除けの星供の法を修した。明治の神仏分離で明治4年(1871)廃寺となるが、同13年(1880)大峰寺として再興、同42年(1909)横峰寺の九号に復した。

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横峰寺の納経(御朱印)

  • 横峰寺の納経

    (1)

  • 60番横峰寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に同じく金剛界大日如来の種字「バーンク」。右上の印は「四国第六十番」、左下は「四国霊場第六拾番横峰寺印」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

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(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「霊刹伊豫国」「石鈇社蔵王権現」「別当横峯寺」。前神寺との争論で敗訴した後のため、「石鈇山蔵王権現」ではなく「石鈇社蔵王権現」となっている。中央の宝印はない。右上の印は白抜きで「六十番」、左下も白抜きで「石峰云山(云=雲)」。

前札所の納経

  • 天保12年前札妙雲寺の納経

    (1)

(1)天保12年(1841)前札所・妙雲寺の納経。版木押しで「第六拾番前札」「石鈇山蔵王権現」「豫州妙雲密寺」。中央の宝印はなし。右上の印は白抜きで「六十番」、左下は「石峰云山」で、横峰寺の印と共通させている(左下の印は白抜きではないが)ことがわかる。

明治時代の納経

前札所の納経

  • 明治38年前札清楽寺の納経

    (1)

  • 明治38年前札旧跡大儀寺の納経

    (2)

(1)明治38年(1905)前札所・清楽寺の納経。明治18年(1885)60番札所問題が決着して20年目に当たる。この納経帳では横峰寺に参拝していない。

(2)明治38年(1905)同じ納経帳の前札旧跡・大儀寺(現・妙雲寺)の納経。大儀寺は明治18年(1885)旧前札所の妙雲寺が廃寺になった後、その跡地に移転し、旧本尊と蔵王権現を安置して「六十番前札旧跡」を称した。昭和32年(1957)妙雲寺と改称した。

横峰寺について

山号 石鈇山(いしづちさん)
寺号 横峰寺(よこみねじ)
院号 福智院(ふくちいん)
旧称 仏光山福智院横峰寺 大峰寺
御本尊 大日如来
所在地 愛媛県西条市小松町石鎚甲2253番地
創建年代 白雉2年(651)
開山 役行者神変大菩薩
宗派等 真言宗御室派
文化財 〈史跡〉伊予遍路道(横峰寺道) 〈県有形文化財〉木造大日如来坐像 金銅蔵王権現御正体

覚え書き

64番前神寺とともに石鎚山の旧別当寺院とされる。弘法大師が青年時代、石鎚山で修行されたことは、大師自筆の『聾瞽指帰』によって知られる。
昭和59年(1984)に林道ができるまでは、車で廻るお遍路さんにとって最大の難所であった(子どもの頃、家族と登ったことがある。当時は河口から虎杖を経て星ヶ森に向かうルートが一般的であった)。その後、太龍寺がもっとも長く歩く札所ということになっていたが、ロープウェイが開通したので、再び横峰寺が最も長く歩く札所となったというが、もはや難所とはいうほどではないだろう。
寺伝によれば、白雉2年(651)役行者が星ヶ森(横峰寺の奥の院で石鎚山の遙拝所)で修行中、石鎚山の頂上に蔵王権現を感得した。その姿をシャクナゲの木に刻んで安置したことにはじまるという。
天平年間(729~49)に行基菩薩が入山した。延暦年間(782~806)石仙菩薩が桓武天皇の脳病平癒の祈願を行い、菩薩号を賜ったという。大同年間(806~09)弘法大師は星ヶ森で厄除けの星供の法を修し、堂宇を整えた。なお、本尊の大日如来の奉安については、行基菩薩・石仙菩薩・弘法大師とする資料があるため、ここではそれぞれの説があることを紹介するにとどめる。
江戸時代には64番札所の前神寺と石鎚山の別当を争った。それぞれ西条藩と小松藩が後ろ盾となり、幕府の寺社奉行に訴え出るまでになった。その結果、文政8年(1825)に裁定があり、石鎚山の別当は前神寺で、横峰寺は仏光山石鈇社(横峰寺境内の蔵王権現社)の別当とされた。そのため、文化・文政以前の納経帳には「石鈇山蔵王権現」とあるのに対し、天保以降の納経帳は「石鈇社蔵王権現」となっている。
明治の神仏分離のため明治4年(1871)廃寺となり、石鎚神社の西遙拝所・横峰社とされた。これに伴い60番札所は小松の仏生山清楽寺に移された。明治13年(1880)大峰寺として再興され、さらに明治42年(1909)旧称の横峰寺に復した。
大峰寺として再興された後、しばらく60番札所が並立する状態が続いたが、明治18年(1885)札所は大峰寺に返納され、清楽寺は前札所とされた。この前年、旧前札所の仏法山妙雲寺が火災で焼失し、廃寺となっていることとも関係すると思われる。妙雲寺の跡地には鶴来山大儀寺が移転し、妙雲寺の旧本尊と蔵王権現を奉安して「六十番前札旧跡」を称した。さらに昭和32年(1957)妙雲寺と改称している。
横峰寺の奥之院は星ヶ森であり、金の鳥居からは正面に石鎚山を望むことができる。また、清楽寺が前札所、妙雲寺が前札旧跡とされている。

写真帖

  • 山門

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  • 大師堂

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  • 本堂

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