貴船神社(品川)

貴船神社

正式名称 貴船神社〔きふねじんじゃ〕
御祭神 高龗大神 〈合祀〉素盞嗚尊
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都品川区西品川3-16-31 [Mapion|googlemap]

【由緒概要】
南品川宿の枝郷・三ツ木の鎮守で、荏原神社の元宮とされる。由緒も荏原神社と共通で、和銅2年(709)藤原伊勢人が勧請したことに始まる。品川の海岸が埋め立てられ、南北品川が栄えていくようになり、西光寺境内を経て目黒川畔の現社地に遷座したのが荏原神社であるという。元は貴布彌社と書いたが、享和3年(1803)貴船社に改められたと伝えられる。

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貴船神社の御朱印

  • 貴船神社の御朱印

    (1)

  • 貴船神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに「貴船神社」。

(2)平成28年拝受の御朱印。書き置き(印刷)で、朱印は「貴船神社」。右上は「和銅二年創建」。

貴船神社について

名称 貴船神社
旧称 貴布彌社
御祭神 高龗大神〔たかおかみのおおかみ〕
〈合祀〉
素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
鎮座地 東京都品川区西品川三丁目16番31号
創建年代 和銅2年(709)
社格等 旧無格社
例祭 6月7日に近い日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月節分/節分祭
6月30日/大祓式
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓式

御由緒

南北品川宿の枝郷であった三ツ木の産土神で、荏原神社の元宮とされる。そのため、御由緒も荏原神社とほぼ同様である。

社伝によれば、和銅2年(709)9月9日、藤原伊勢人が勧請したことに始まる(荏原神社の社伝では大和国の丹生川上神社からの勧請とする)。当時は貴布禰大明神と称したが、享和3年(1803)貴船と書くように改められたという。

往古、この辺りは海岸の森林で、当社の前の道がかつての東海道であったという。その後、品川の海が埋め立てられ、現在の南北品川が発展していったことから西光寺(品川区大井4丁目)の境内に御分霊を勧請、さらに目黒川の畔の現社地に遷座したのが荏原神社(江戸時代までは貴布禰社と称した)とされる。

文政13年(1830)に完成した『新編武蔵風土記稿』によれば、三ツ木の貴船社は北品川稲荷社(現在の品川神社)の神主の管理下に置かれていた。普段、御神体は稲荷社(品川神社)に置かれ、例祭の時のみ神輿に奉安して遷したという。

『新編武蔵風土記稿』の北品川宿稲荷社を見ると、高龗神を相殿として祀っている。これが三ツ木の貴船社の御祭神であろうと思われる。

当地は明治の終わりまでのどかな田園地帯で、居住者も23戸ほどであった。ところが大正になった頃から移住者が増え始めた。特に大正12年(1923)の関東大震災の後は急増し、宅地化が進んで昭和18年(1943)年には氏子数約3,300戸に達したという。

補足

江戸時代、南品川の貴布彌社(荏原神社)と北品川の稲荷社(品川神社)は一紙で御朱印領5石を拝領し、2石5斗ずつ折半していたという。家康の朱印状は荏原神社が蔵しており、宛名は「大明神」となっている。この不思議な慣例を解く鍵が当社の由緒にあると思われる。

荏原神社の由緒では三ツ木の貴布彌社が遷座して荏原神社になったとするのに対し、当社の由緒では荏原神社を当社の分社とする。また、『新編武蔵風土記稿』によれば、当社の御神体は稲荷社(品川神社)の相殿として祀られ、例祭の時のみ神輿で奉遷されていたとあるので、事実上、稲荷社の末社であったと考えられる。

これらから考えると、もともと品川の総鎮守は三ツ木の貴布彌社であり、朱印状の宛名にある大明神も三ツ木の貴布彌社のことと認識されていたのではないだろうか。そして、南品川の貴布禰社(荏原神社)と北品川の稲荷社(品川神社)は互いに正統な祭祀の継承者であることを主張したのであろう。

稲荷社が貴布彌社の高龗神を相殿に祀りながら三ツ木の社を維持し、例祭には御神体を奉遷したというのも、貴布彌社祭祀の継承者としての正統性を強調するためだったのではないだろうか。

現在、品川神社の御祭神に高龗神の名はない。明治初期、当社に御神体を戻し、独立の神社としたのではないかと思われるが、確認はできていない。

新編武蔵風土記稿

貴布彌社

除地一段七畝八歩。枝郷三ツ木にあり、其地の産神なり。前社〔※南品川・貴布彌社=荏原神社〕の旧地に祀ると云、是なり。本社方六尺、拝殿二間に九尺。前に気の鳥居を建。常には神体を北品川稲荷社中に置。例祭九月九日、彼所より神輿を奉遷して祀ると云。稲荷神主小泉出雲持。

末社稲荷社 本社の右にあり。 大山祇社 本社の左にあり。二宇共に小社なり。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 布袋尊像

    布袋尊像

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内末社

    三ツ木稲荷・満潮宮・大山祇社合殿

  • 祖霊社

    祖霊社

  • 道標

    文政11年銘道標

  • 神輿奉安庫

    神輿奉安庫

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

メモ

大崎駅から歩いて10分ほどの住宅街の中、三木小学校の隣に鎮座する。つい100年ほど前までは戸数23戸ののどかな田園地帯だったというが、緑の多い境内は辛うじてその頃の名残を留めている印象。社殿は鉄筋コンクリート造ではあるが、境内の緑と調和して落ち着いた雰囲気を醸し出している。


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