小野照崎神社は、里人が小野篁の遺徳を慕い、上野照崎(忍岡)の地に祀り、小野照崎大明神と称したことに始まると伝えられる。寛永年間(1624~44)寛永寺の造営に伴って現社地に遷座した。学問・芸能の神として信仰を集める。
正式名称 | 小野照崎神社〔おのてるさきじんじゃ〕 |
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御祭神 | 小野篁 〈相殿〉菅原道真 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区下谷2-13-14 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 入谷(東京メトロ日比谷線) 鶯谷(JR山手線・京浜東北線) バス停:入谷鬼子母神 |
公式サイト | http://onoteru.or.jp/ |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印。中央の朱印は「小野照崎神社」、右上に文鳥の絵馬。
(2)平成22年拝受の御朱印。中央上の朱印は三つ巴と梅鉢の神紋、下は「小野照崎神社」。右に「東京下町八社福参り」。
摂末社の御朱印
末社浅間神社(下谷坂本富士)山開きの御朱印。
御由緒
小野照崎神社は、博学広才で名高い平安時代の公卿・小野篁を祀る。
社伝によれば、小野篁が上野国での国司の任を終えて帰洛する途中、しばらく上野照崎(忍岡、現在の上野公園)の地に留まって、里人たちを教化した。里人らは上野殿(諫議亭)と敬慕し、仁寿2年(852)小野篁が没すると、これを照崎の故地に祀って小野照崎大明神と称したという。
寛永年間(1624~44)幕府より寛永寺建立のため、坂本村の長左衛門稲荷境内の現社地に遷座を命じられた。一説には、孔子聖廟が湯島昌平坂に移された元禄4年(1691)のことともいわれる。旧別当は天台宗の小野照山嶺松院。
江戸末期に回向院より菅原道真公自刻の尊像を遷して相殿に祀り、江戸二十五天神の一つに数えられた。現在の社殿は慶応2年(1866)に造営されたもので、関東大震災・東京大空襲の災禍を免れ、現在に至る。
学問・芸能の神として信仰を集める。ことに渥美清が当社に願掛けをして『男はつらいよ』の寅さん役を得たことに倣い、若い芸能人や音楽家、仕事や習い事の上達を願う人の参拝が多いという。
境内の富士塚(下谷坂本富士・末社の富士浅間神社)は天明年間(1781~89)の築造で、国の重要文化財に指定されている。また末社の稲荷神社は地主神の長左衛門稲荷で、本社が忍岡から遷座してくる以前から尊崇されていた。昭和29年(1954)織物組合に奉斎されていた織姫神社を合祀している。
写真帖
メモ
境内の下谷坂本富士は文政11年(1828)に造営された富士塚。都内に富士塚は数多くあるが、国の文化財に指定されているのは練馬区小竹町・茅原浅間神社の江古田富士、豊島区高松・富士浅間神社の豊島長崎富士と小野照崎神社の下谷坂本富士の3ヶ所だけという。6月30日と7月1日の2日間は山開きとして一般に開放される。
小野照崎神社の概要
名称 | 小野照崎神社 |
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通称 | 小野照さま |
旧称 | 小野照崎大明神 |
御祭神 | 小野篁〔おののたかむら〕 〈相殿〉 菅原道真〔すがわらのみちざね〕 |
鎮座地 | 東京都台東区下谷二丁目13番14号 |
創建年代 | 仁寿2年(852) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 5月第3日曜日 |
神事・行事 | 1月1日~7日/新春特別祈祷 1月19日/新年祭 2月3日/節分追儺式 旧暦二の午/末社例祭 7月1日/富士浅間神社例祭(お山開き) 7月第3日・月曜日/納涼踊り大会 9月23日/秋季例祭(足利学校・雅楽の夕べ) 12月第1日曜日/子供餅つき大会 12月31日/大祓式 |
文化財 | 〈重要有形民俗文化財〉富士塚(下谷坂本富士) |
巡拝 | 東京下町八社福参り |
交通アクセス
□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩3分
□JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」より徒歩7分