第1番 竺和山 霊山寺

霊山寺

【略縁起】
寺伝によれば天平年間(729~749)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したとされる。弘仁6年(815)弘法大師が四国を巡錫した際、この地で三七日の修法を行い、霊鷲山で説法されるお釈迦様の姿を感得した。そこでインド(天竺)の霊山を日本(和)に移すという意味から竺和山霊山寺と名付けたと伝えられる。

名称 竺和山 一乗院 霊山寺
御本尊 釈迦如来
本尊真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌 霊山の釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も消えうせにけり
所在地 徳島県鳴門市大麻町板東126 [Mapion|googlemap]
目次

霊山寺の納経(御朱印)

霊山寺の納経
(1)
霊山寺満願の納経
(2)
霊山寺の納経
(3)

(1)平成元年に拝受した納経。揮毫は釈迦如来の種字「バク」に「釈迦如来」、中央の宝印は宝珠の中に「靈(霊)」の字、左下の朱印は「弌乗院」。

(2)平成元年、八十八ヶ所を巡拝し終えて頂いた納経。揮毫は「願行成圓」。中央の宝印は弥勒菩薩の種字「ユ」で弘法大師を表す。

(3)平成18年に拝受した納経。揮毫は釈迦如来の種字「バク」に「釈尊」。朱印は平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

天保11年の納経
(4)
天保12年の納経
(5)

(4)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊釈迦如来」「アハ(阿波)霊山寺」。宝印は十六八重菊に卍。右上は「四国第一番」、左下は「弌乗院」。

(5)天保12年(1841)の納経。揮毫は判読しづらいが、「奉拝」「四国第一番」「金堂□□釈尊」「□□阿波国」「霊山寺」。 「奉納経」ではなく「奉拝」となっているのが珍しい。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

明治38年の納経
(6)

(6)明治38年の納経。文字は版木押し。重ね印だが印は同じもの。中央の宝印は桜に卍。右上は「四国第一番」、左下は「弌乗院」。

霊山寺について

山号 竺和山(じくわさん)
寺号 霊山寺(りょうぜんじ)
院号 一乗院(いちじょういん)
御本尊 釈迦如来
所在地 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地
創建年代 天平年間(729~728)
開山 行基菩薩
宗派等 高野山真言宗

覚え書き

天平年間(729~749)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創されたと伝えられる。弘仁6年(815)弘法大師巡錫の折、霊鷲山〔りょうじゅせん〕で説法される釈迦如来の姿を感得し、天竺の霊山を日本(和)に移すという意味から竺和山〔じくわさん〕霊山寺と名付けられたという。
八十八ヶ所の札所と順番が定着したのは真念法師の『四国遍路道指南』(貞享4年/1687)によるとされるが、既に澄禅の『辺路日記』でも、本来は霊山寺から打ち始めるべきところを道が悪いために井戸寺から始めるとの記述がある。関西方面から四国を回る場合、撫養港に上陸して霊山寺に向かうのが便利であることから1番札所として定着したのであろう。
山門をくぐると正面に立派な本堂があり、右手には大師堂と日本庭園、左手には多宝塔がある。本堂の右脇の納経所では、白装束その他、遍路に必要な品物一式を揃えることができる。
奥の院は、『四国偏礼霊場記』によれば大麻権現(大麻比古神社)である。山門左の道を1kmほど北進すると、阿波国一宮・大麻比古神社が鎮座する。霊山寺は同社の別当でもあった。
現在は、一般に八葉山東林院(種蒔き大師)が奥の院とされている。また、説法山十輪寺が前札所とされる。

写真帖

山門
山門
寺号標
寺号標
多宝塔
多宝塔
大師堂
大師堂
本堂
本堂
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