茶ノ木神社の創建年代は不詳。この地にあった佐倉藩主・堀田家の邸内社で火伏せの神として信仰を集め、毎年初午の日には一般の参詣が許されていたという。社の周囲に植え込まれた茶の木に因み「お茶ノ木様」と呼ばれた。近隣の都市再開発計画にともない、平成20年(2008)新社殿に遷座した。
正式名称 | 茶ノ木神社〔ちゃのきじんじゃ〕 |
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御祭神 | 倉稲魂大神 |
社格等 | - |
鎮座地 | 東京都中央区日本橋人形町1-12-10 [Mapion | googlemap] |
巡拝等 | 日本橋七福神(布袋尊) |
公式サイト | http://www.geocities.jp/cha_no_ki/ |
御朱印
(1)平成24年拝受の御朱印。朱印は神璽で「茶ノ木神社神璽」とある。社名のスタンプは日本橋七福神の御朱印に用いられているもの。
(2)平成28年に拝受した御朱印。上の朱印は「茶ノ木神社」、下は「茶ノ木神社参拝之章」、左下に「東京 日本橋」。社号のスタンプも専用のものを新調しているようだ。
(3)日本橋七福神、布袋尊の御朱印。平成18年拝受。
御由緒
茶ノ木神社の創建年代については不明だが、この地にあった下総佐倉藩主・堀田家中屋敷の邸内社として祀られていたという。
長年、堀田家の屋敷をはじめ、近辺にも火事が起こらなかったことから火伏せの神として人々の信仰を集め、初午祭の当日には一般の参拝を許していた。当時、社の周囲に茶の木を植え込み、その緑が見事であったことから「お茶の木様」と称された。
明治以降の歴史は詳らかでないが、大正12年(1923)の関東大震災の後は喜誠会の人々によって護持されていた。昭和8年(1933)以降は町会の人々によって守られている。
昭和35年(1960)地下鉄日比谷線の建設に際し、その計画路線にあったために社殿を解体新築することとなった。工事中、御神体は東伏見稲荷神社に遷されたという。昭和60年(1985)布袋尊を合祀、日本橋七福神に参加した。
現在の社殿は平成20年(2008)地域の再開発により新しい高層マンションの敷地内に建てられたものである。
写真帖
メモ
初めての参拝は平成18年(2006)の元旦、日本橋七福神を巡拝したとき。この時は七福神の御朱印のみであった。
平成24年(2012)正月、水天宮の御朱印帳を入手するために日本橋水天宮に参拝、それに合わせて新しくなった茶ノ木神社にも参拝した。もしかして神社の御朱印はないかと思い、朱印所を覗いたところ、七福神の書き置きの御朱印の下から神社の書き置きの御朱印がはみだしているのを発見した。
そこで、御朱印をお願いしたのだが、対応された町会の方はちょっと戸惑っておられた。しかし、あることは確実だったので、強めにお願いしたところ、わかる方に聞いてくださって、無事いただくことができた。ネット上にも神社の朱印については情報がないので、最近対応するようになったのかもしれない。(※H24.3.7)
平成28年1月に2度目の日本橋七福神巡拝の際、神社の御朱印が新しくなっていたので再度拝受した。
宗教法人にはなっていない。『日本橋区勢要覧』などにも記載がなく、戦前も公認の神社(無格社以上)ではなかったものと思われる。(※H28.4.10)
茶ノ木神社の概要
名称 | 茶ノ木神社 |
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通称 | お茶ノ木様 |
御祭神 | 倉稲魂大神〔うがのみたまのおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都中央区日本橋人形町一丁目12-10 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | (非法人) |
神事・行事 | 2月初午の日/初午祭 |
巡拝 | 日本橋七福神(布袋尊) |
交通アクセス
□水天宮前駅(半蔵門線)より徒歩すぐ
□人形町駅(日比谷線・都営浅草線)より徒歩2分