諏訪神社(下壱分方)

諏訪神社

下壱分方(現・八王子市諏訪町)の諏訪神社は、大治元年(1126)信濃国一宮・諏訪大社より勧請したと伝えられる。元亀年間(1570~73)八王子城主・北条氏照が社殿を再建するが、天正18年(1590)八王子城の攻防の際に破壊された。元和9年(1623)高室金兵衛昌重が当社に祈願して息子の目の病が快癒したため、その奉賽として社殿を再建した。

正式名称 諏訪神社〔すわじんじゃ〕
御祭神 建御名方命 〈相殿〉八坂刀売命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都八王子市諏訪町1 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 西八王子・八王子(JR中央線)
バス停:諏訪神社

御朱印

  • 諏訪神社の御朱印

平成22年拝受の御朱印。朱印は丸に梶の葉の神紋。

御由緒

諏訪神社は、社伝によれば、大治元年(1126)信濃国一宮諏訪大社を勧請したことを創祀とする。『新編武蔵風土記稿』は、下壱分方・上壱分方・大楽寺の三村の鎮守という社伝があることを記している。

元亀年間(1570~73)八王子城主・北条氏照が社殿を造営した。しかし天正18年(1590)八王子城落城の際に破壊された。

元和9年(1623)大檀那・高室金兵衛昌重の息子が目を患ったが、当社への祈願により治癒したことから、奉賽として社殿を再建した。この時の棟札が現在も残っている。

貞享元年(1684)火災のため旧記や神宝を焼失した。

『新編武蔵風土記稿』には、末社として山王権現・火玉明神・水玉明神・鷺明神・天満宮・稲荷明神・秋葉権現・大国主宮が挙げられている。これらは現在も境内社として祀られている。

かつて境内には樹齢300年を超える多数の大杉が茂り、荘厳な神域となっていたが、昭和41年(1966)台風のために一夜にして樹木・社殿等悉く倒壊した。翌昭和42年(1967)拝殿を再建、以後、神楽殿・末社等を整備して現在に至る。

8月の例大祭は、各家庭でまんじゅうを作り、それを食べると無病息災で過ごすことができるとされたことから「まんじゅう祭」の名で知られる。現在では家庭で作るということはほとんどなくなったが、境内でまんじゅうが売られ、これを食べると病気にならないとされている。

八王子市指定無形民俗文化財の四谷龍頭の獅子舞をはじめ、諏訪町・四谷町の太刀(演武)、山車の奉曳、盆踊りなどが行われ、多くの参拝者が訪れる。

写真帖

  • 一の鳥居

    一の鳥居

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 井戸

    井戸

  • 天満宮

    天満宮

  • 加能稲荷社

    加能稲荷社

  • 寄せ宮

    寄せ宮(末社)

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

陣馬街道に面して一の鳥居が建つ。鎮座地の諏訪町は、かつて下壱分方村の小名・諏訪宿と呼ばれたところである。『新編武蔵風土記稿』には、元八王子村の八幡宿からこの辺りまで平地続きで、古くは八日市場と呼ばれたというが定かではないと記している。一の鳥居の側に「史跡 古市場跡」という標石があるが、これに関係するのであろうか。
広い境内は手入れが行き届いており、非常に気持ちがよい。しかし、宮司さんは、かつての大杉が茂っていた頃の森厳な雰囲気にはとうてい及ばないと残念がっておられた。
宮司さんはお忙しかったようだが、事前に連絡を入れると、わざわざ時間を合わせて自宅から出向いてくださった。諏訪神社や地域のことのみならず、神社界をめぐる状況などさまざまな話をしてくださったが、真剣に神社のことを思う気持ちが伝わってきて、気持ちのよい時間を過ごすことができた。
ただ神社やお寺を参拝するだけでなく、こういう気持ちのよいふれ合いのあることが御朱印拝受の楽しみの一つだと思う。

諏訪神社の概要

名称 諏訪神社
旧称 諏訪明神社
御祭神 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕
〈相殿〉
八坂刀売命〔やさかとめのみこと〕
鎮座地 東京都八王子市諏訪町1番地
創建年代 大治元年(1126)
社格等 旧村社
例祭 8月26日・27日(まんじゅう祭)
神事・行事 1月1日/元旦祭
2月初午/稲荷祭
3月25日/天満宮祭

交通アクセス

□JR中央線「八王子駅」・京王線「京王八王子駅」よりバス
■西東京バス宝生寺団地・恩方営業所・恩方ターミナル行き「諏訪神社」下車徒歩1分
□JR中央線「西八王子駅」よりバス
■西東京バス恩方ターミナル行き「諏訪神社」下車徒歩1分

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