於岩稲荷田宮神社は『東海道四谷怪談』の主人公・お岩さんゆかりの神社として知られる。元は四谷左門町(新宿区)に祀られていたが、明治12年(1879)火事で社殿が焼失したのを機に、越前堀の田宮家の敷地(現社地)に遷座した。以来、歌舞伎関係者や花柳界を中心に広く信仰を集めた。昭和27年(1952)には四谷の旧社地にも飛地境内社として於岩稲荷田宮神社が再興された。
正式名称 | 於岩稲荷田宮神社〔おいわいなり たみやじんじゃ〕 |
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御祭神 | 豊受比賣大神 田宮於岩命 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都中央区新川2-25-11 [Mapion | googlemap] |
御朱印
平成21年、中央区神社めぐりの御朱印帳に拝受。上の印は田宮家の家紋である陰陽勾玉巴の神紋、左下は「田宮神社」。
御由緒
於岩稲荷田宮神社は鶴屋南北の傑作『東海道四谷怪談』の主人公・お岩さんゆかりの神社として知られる。四谷にも同名の社があるが、新川の社が本社で、四谷は飛地境内社である。
歌舞伎や演劇で四谷怪談を演じるときには、於岩稲荷に参拝しなければ祟りがあるという俗信は有名だが、於岩稲荷に伝わる話はずいぶん違っている。それによれば、お岩さんというのは怨霊とは無縁であるどころか、非常に健気な女性で、しかも夫婦仲は非常に円満であったという。
お岩という女性は幕府の御家人・田宮又左衛門の娘で、夫・田宮伊右衛門とは人もうらやむ仲のよい夫婦だったという。しかし、家は大変貧しかったので、家計を支えるため商家に奉公に出た。お岩は日頃から田宮家の屋敷神を熱心に信仰していた。その甲斐あって、次第に家運は回復し、かつての繁栄を取り戻した。
寛永13年(1636)にお岩はなくなるが、お岩の信仰によって田宮家が復活したという話は評判となり、近隣の人々は田宮家の屋敷神を於岩稲荷と呼んで信仰したという。
享保2年(1717)田宮家は屋敷神の隣に稲荷祠を建立した。参拝を求める人が増えたので、屋敷を開放して参拝を許可することになり、以来、於岩明神・大巌明神・四谷稲荷・左門町稲荷などと呼ばれて、信仰を集めた。
文政8年(1827)鶴屋南北は江戸の庶民の信仰を集めているお岩をモデルとし、さまざまな江戸の事件で脚色した歌舞伎『東海道四谷怪談』を執筆した。これが大当たりで、於岩稲荷の人気はますます高まったが、健気な女性であった於岩に怨霊というイメージが定着してしまった。
さらに、『東海道四谷怪談』に出演する役者は於岩稲荷に参拝していたのだが、そのうちに上演前に参拝しなければ、病気になったり事故に遭ったりするという話になり、祟りだという話にまでなった。しかし、これは『東海道四谷怪談』は暗い場所で演じる上に、大がかりなからくりなどが用いられるので、怪我が多く、それが祟りと結びつけられたのだろうという(ただし、子孫の田宮伊左衛門夫妻が怪談のモデルだという説もある)。
明治の初め、於岩稲荷田宮神社と改称した。明治12年(1879)、四谷左門町の火事で社殿が焼失したのをきっかけに、越前堀(現在の新川)の田宮家の敷地内(現社地)に遷座した。これは、市川左団次から毎回四谷まで参拝に赴くのは大変なので、新富座などの芝居小屋の近くに移転してもらいたいという要望があったことにもよる。当時、市川左団次は『東海道四谷怪談』を手がけると天下一品と言われていた。
以来、越前堀の於岩稲荷田宮神社は歌舞伎関係者や花柳界を中心に広く信仰を集めたが、昭和20年(1945)の空襲で社殿等灰燼に帰した。現在の社殿は戦後の再建である。
なお、昭和27年(1952)四谷の旧社地に飛地境内社として於岩稲荷田宮神社が再興された。
写真帖
メモ
境内の白狐社前の鳥居は明治30年(1897)田岡栄が寄進したもので、下部に花形の根巻きと四角い台座がついた神明鳥居である。また、その奥にある百度石は、大正3年(1914)市川右団次が大阪浪花座で四谷怪談を上演した記念にほうのうしたもの。いずれも当時の信仰の篤さを今に伝えている。
普段、神職はいない。宮司不在の場合、御朱印は鉄砲洲稲荷神社で授与するという掲示がある。一度、参拝時に神社の方がいらっしゃったのだが、朱印を鉄砲洲稲荷に預けているので、こちらでは授与できないということであった。ただし、鉄砲洲稲荷神社では「中央区神社めぐり」の御朱印帳でなければいただけない。ただ、soragotoさんのサイト(御朱印マニア)などには墨書していただいたものが掲載されており、その辺の事情はよくわからない(平成21年時点)。
於岩稲荷田宮神社の概要
名称 | 於岩稲荷田宮神社 |
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旧称・通称 | 稲荷神社 於岩稲荷社 お岩稲荷 お岩さま |
御祭神 | 豊受比賣大神〔とようけひめのおおかみ〕 田宮於岩命〔たみやおいわのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都中央区新川二丁目25-11 |
創建年代 | 享保2年(1717) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 3月22日 |
交通アクセス
□八丁堀駅(JR・日比谷線)より徒歩5分
□茅場町駅(東西線)より徒歩10分