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穴澤天神社 | 東京都稲城市

穴澤天神社

穴澤天神社は延喜式神名帳所載の穴澤神社に比定される古社で、孝安天皇4年(B.C.423)の創建と伝えられる。御祭神は少彦名命で、元禄7年(1694)に菅原道真公が配祀された。社号は麓に洞窟があり、その前を清水が流れていたことに因むという。社家を家元とする山本社中が伝承する神楽は、「江戸の里神楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

正式名称 穴澤天神社〔あなざわてんじんしゃ〕
御祭神 少彦名命 〈相殿〉菅原道真公 大己貴命
社格等 式内論社 旧郷社
鎮座地 東京都稲城市矢野口3292 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 京王よみうりランド(京王相模原線)
矢野口(JR南武線)
公式サイト http://anazawatenjinja.jp/
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御朱印

穴澤天神社の御朱印 穴澤天神社の御朱印 none
(1) (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「穴澤天神社印」。

(2)平成30年拝受の御朱印。中央の朱印は「穴澤天神社印」で、新しくなっている。右下に「稲城市鎮座」。

御由緒

穴澤天神社弁天洞窟と弁財天像

辨財天像と洞窟

御祭神

主祭神は少彦名命、相殿に菅原道真公と大己貴命を祀る。

少彦名命は国土経営に功績のあった神で、人々に医療法や造酒などを教え、特に医薬ひいては健康増進の神として信仰を集める。穴澤天神社の元からの御祭神である。

菅原道真公は元禄7年(1694)に合祀された。古くから学問の神として崇敬されている。

大己貴命は大正7年(1918)に合祀された国安神社の御祭神で、縁結び・開運の神として信仰されている。

御由緒

江戸名所図会穴澤天神社

『江戸名所図会』穴澤天神社(国会図書館デジタルコレクション)

穴澤天神社は矢野口村の鎮守で、延喜式神名帳所載の多摩郡八座の一・穴沢神社に比定されている。古くは梅元坊が別当であったが、延宝3年(1675)より威光寺が勤めたという。

社伝によれば創建は孝安天皇4年(B.C.423)とされる。

当社の境内は丘の中腹にあるが、その麓に横穴があり、その前に清水が流れている。これが「穴沢」の名の由来とされる。昔の洞窟は崩れ落ち、現在の洞窟は二度目のものであるという。

穴澤天神社『江戸名所図会』

『江戸名所図会』穴澤天神社(部分)(※彩色は筆者)

『江戸名所図会』の挿絵を見ると、洞窟の前に清水が流れ、社前の三沢川に注ぎ込んでいる。現在、弁天洞窟のそばに御神水が湧いているが、今よりも水量が多く、流れを作っていたようである。

洞窟には入口の大黒天・毘沙門天の二像をはじめ種々の神仏の石像が祀られていたが、明治の神仏分離の際、旧別当の威光寺に遷された。現在は威光寺境内に設けられた弁天洞窟内に安置されている。弁天洞窟は横穴式の古墳を掘り広げたものとのことで、新東京百景の一にも選ばれている。

元禄7年(1694)社殿の造営が行われ、その際に菅原道真公が配祀された。

明治6年(1873)郷社に列格。大正7年(1918)国安神社を合祀した。

式内論社

延喜式神名帳所載の穴澤神社(近年の史料では「穴澤神社」とするが、明治以前の史料では「穴澤天神社」となっていることが多い)については矢野口の当社のほか、奥多摩町棚沢の穴沢天神社(棚沢天神)や奥多摩町氷川の羽黒三田神社を当てる説もある。

『新編武蔵風土記稿』には「祭神も少彦名命なるを、天神の号より後人あやまり覚えて、妄に社を尊くせんがために、天満宮を配し祀りて、今は鳥居も天満宮の扁額あるに至れり」とあるように菅原道真を配祀した。鳥居の扁額も「天満宮」となり、源頼朝の時代に託宣があって天満宮を祀ったという縁起も創作されたという。

穴澤天神社の元々の御祭神は少彦名命で、社号の「天神」は天つ神の意味である。しかし、江戸時代の人々にとって天神というと天満宮(菅原道真公)であった。

その結果、式内社であることが次第に忘れられ、三田領棚沢天神(奥多摩町棚沢の穴沢天神社)や氷川村羽黒権現(奥多摩町氷川の羽黒三田神社)相殿に祀られる天神などを式内社とする説も出るに至ったのであろうという。

棚沢天神は穴沢が訛って棚沢になったとし、羽黒三田神社は近くに足沢という地名があり、これも穴沢が訛ったのだとする。

とはいえ、延喜式神名帳所載の穴澤神社については矢野口の当社とすることでほぼ一致しており、『神祇志料』や『特選神名牒』でも特に検討することなく当社を当てている。

江戸の里神楽と国安神社

国安宮(江戸名所図会)

『江戸名所図会』国安宮(※部分)(国会図書館デジタルコレクション)

穴澤天神社の例大祭では、獅子舞とともに神楽が奉納される。当社の社家を家元とする山本頼信社中によるもので、台東区蔵前の若山社中、品川区東大井の間宮社中、荒川区西日暮里の松本社中とともに「江戸の里神楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

山本社中の里神楽は、応安6年(1373)初代の山本権律師弘信が創始し、山本家の近くにあった国安神社で神楽を舞ったことに始まると伝えられる。

国安神社は矢野口村字谷戸に鎮座し、御祭神は大己貴命であった。大正4年(1915)穴澤展神社に合祀された。

社伝によれば、小沢左衛門尉国高という人がこの地を通った時、松の木の下に白髪の老人が現れ、「我は大国主神なり。この地に崇め祀れば万民国安かるべし」と告げて消えた。奇異の念に打たれた国高は、直ちに一社を設け、国安権現として祀ったという。

『新編武蔵風土記稿』には「神職山本主膳」とあり、山本家はもともと国安神社の社家だったのであろう。

『江戸名所図会』の挿絵を見ると、神社の麓に社人の屋敷と仮殿が描かれている。この仮殿が祈祷殿としての機能を持ち、さまざまな祈祷や神楽の奉納が行われていたのではないかという。

写真帖

穴澤天神社一の鳥居

一の鳥居

穴澤天神社神明社・山王社

神明社・山王社

穴澤天神社二の鳥居

二の鳥居

穴澤天神社神楽殿

神楽殿

穴澤天神社御神老木東舎

御神老木東舎

穴澤天神社手水舎

手水舎

穴澤天神社筆塚

筆塚

穴澤天神社稲荷社

稲荷社

穴澤天神社狛犬

狛犬(天保14年)

穴澤天神社拝殿

拝殿

穴澤天神社社号額

拝殿の神額

穴澤天神社本殿(覆殿)

本殿(覆殿)

弁天坂参道と洞窟

穴澤天神社弁天坂の鳥居

辨天坂の鳥居

穴澤天神社弁天坂

弁天坂

穴澤天神社弁天社

辨天社

穴澤天神社洞窟と弁財天像

洞窟と辨財天像

穴澤天神社洞窟

洞窟内部

穴澤天神社御神水

御神水

メモ

川崎市との境、多摩丘陵の天神山に鎮座する。麓からの正面参道は急な石段になっている。境内は天神山の中腹に東西に細く延びており、社殿はその奥で西向きに建つ。

境内の御神老木東舎には、昭和58年(1983)神輿舎を建設する際、地中から発見された巨大な根を安置する。昔から御神木として伝えられてきた老木で、樹齢は1千年余りという。神楽殿では、例大祭に国の重要無形民俗文化財に指定されている里神楽が奉納される。

社務所脇の筆塚は、文久3年(1863)当地で筆学を業としていた原田金陵の功績を称え、矢野口村・長沼村・押立村の門弟164名によって建立されたもの。明治維新直前の当地における教育の記録として貴重なもので、市の文化財に指定されている。

一の鳥居の50m余り東には弁天社の洞窟と御神水があり、ここにも境内へ向かう弁天坂がある。洞窟にはかつては多くの神仏の像が祀られていたというが、現在は弁天社のお社のみがある。御神水は取水の人も多いようである。

穴澤天神社の概要

名称 穴澤天神社
御祭神 少彦名命〔すくなひこなのみこと〕
〈相殿〉
菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕
大己貴命〔おおなむちのみこと〕
鎮座地 東京都稲城市矢野口3292番地
創建年代 伝・孝安天皇4年(B.C.424)
社格等 式内社(論) 旧郷社
延喜式 武蔵國多磨郡 穴澤神社
例祭 8月21~25日
※8月25日までの第3または第4日曜日/例祭・神幸祭・獅子舞
※8月25日/例大祭当日祭
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月成人の日/成人祭
1月25日/初天神祭
2月3日/節分祭(追儺式)
2月11日/祈年祭(産業祭・商工祭)・紀元節祭(建国記念祭)
2月二の午日/末社稲荷社祭(初午祭)
4月15日/春季例祭(氷雨祭)・神前太々神楽・末社山王社例祭
4月29日/末社辨天社例祭(水神祭)
6月30日/大祓式(茅の輪神事)
8月15日/戦没者慰霊祭(忠魂式)・末社神明社例祭
11月23日/新嘗祭(新穀感謝祭)
12月15日/御神札・暦頒布式
12月31日/大祓式・除夜祭
文化財 〈国重要無形民俗文化財〉江戸の里神楽

交通アクセス

□京王相模原線「京王よみうりランド駅」より徒歩8分
□JR南武線「矢野口駅」より徒歩11分

更新情報

2006.01.29.公開
2006.02.19.更新
2018.01.25.改訂、WPへ移行、御朱印・画像追加。

東都神社御朱印集
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