落合白山神社は落合村の鎮守で、現存する棟札などから元和2年(1618)加賀の白山比咩神社から御分霊を勧請・鎮座したとされる。しかし、社宝の神像が平安時代から鎌倉時代のものといい、当社の草創もその頃に遡ると考えられている。多摩ニュータウンの開発に伴って社地が強制買収の対象となり、昭和58年(1983)丘陵地を造成して現在の社殿が造営された。
南多摩の神社
正式名称 | 白山神社〔はくさんじんじゃ〕 |
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通称 | 落合白山神社〔おちあい はくさんじんじゃ〕 |
御祭神 | 伊邪那岐命 伊邪那美命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都多摩市落合2-2-1 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 京王多摩センター(京王相模原線) 小田急多摩センター(小田急多摩線) 多摩センター(多摩モノレール) バス停:東福寺前 |
公式サイト | https://www.hakusan-jinja.or.jp/ |
御朱印
(1)平成29年拝受の御朱印。中央上の朱印は「落合白山神社印」、下は「白山神社」。
御由緒
御祭神
■伊邪那岐命
■伊邪那美命
公式サイトや『平成「祭」データ』など、すべて伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱としている。
江戸時代は白山妙理権現と称した。明治12年の神社明細帳を見ると、御祭神は伊弉冉命一柱で、明治43年(1910)村内の無格社・天神社の菅原道真を合祀しているが、その後どうなっているかは不明。
由緒(歴史)
落合白山神社は落合村の鎮守で、江戸時代には白山社・白山権現と称し、隣接する青木山東福寺(真言宗)が別当を務めていた。御神体は江戸時代に造立された騎馬の像である。現在は多摩センター地域の鎮守として崇敬されている。
創建年代は不詳だが、現存する元和2年(1618)の棟札に、八王子代官の小宮山八兵衛助為と別当であった東福寺の円能法師が社殿を建立し、加賀の白山妙理権現(白山比咩神社)から御分霊を勧請したとある。これを当社の鎮座とし、平成30年(2018)には四百年式年記念祭が執り行われた。
しかし、社宝の7体の御神像(明治8年に神社裏手から出土)は平安時代から鎌倉時代のものとされ、当社の草創もこの頃に遡ると考えられている。かつて府中に武蔵国府があった頃、この地には多摩の横山径と呼ばれた国府道の往還が通っていた。都人や防人が休息安堵したところであって、古くより五穀豊穣・家運隆昌・子孫繁栄が祈願されてきたという。
『新編武蔵風土記稿』によれば、元は蓮善坊という山伏が社司を務めていたが、慶長(1596~1615)の頃、東福寺が白山社の西隣に移転、別当を務めることとなった。
江戸時代には徳川将軍より朱印地10石を賜っていた。享保8年(1723)社殿を造営、安永3年(1774)宝殿(本殿)を再建。
明治初年、神仏判然令により東福寺と分離し、白山神社と改称して村社に列格(※Wikipediaには昭和11年に村社昇格とあるが、神饌幣帛料供進社指定の間違いである)。神社明細帳によれば、明治43年(1910)村内の無格社・天神社を合祀している。
昭和40年(1965)多摩ニュータウン開発に伴い、社地1万5千坪余りが強制買収の対象となる。残る境内地についても、東京都の区画整理により丘陵地を造成。旧社殿を解体して、昭和58年(1983)権現造の新しい社殿を造営した。
写真帖
メモ
多摩センター駅の南、丘陵を切り開いた境内地に木造の社殿が建つ。森の木々と多摩ニュータウンの高層建築が背景となり、独特な景観を作っている。
神職常駐ではないが、祭礼時などに氏子の方が御朱印対応をしているようである。私は七五三に合わせて参拝、御朱印をいただくことができた。
落合白山神社の概要
名称 | 白山神社 |
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通称 | 落合白山神社 |
旧称 | 白山社 白山権現 |
御祭神 | 伊邪那岐命〔いざなぎのみこと〕 伊邪那美命〔いざなみのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都多摩市落合二丁目2番1号 |
創建年代 | 平安時代(?) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月第2土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日~7日/初詣 |
交通アクセス
□京王相模原線「京王多摩センター」より徒歩約10分
□小田急多摩線「小田急多摩センター」より徒歩約10分
□多摩モノレール「多摩センター」より徒歩約12分
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