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多賀神社 | 東京都八王子市

多賀神社

多賀神社は、天慶元年(938)源経基により近江国の多賀大社より勧請されたことに始まると伝えられる。鎮座地である本郷村(現在の元本郷町)をはじめ、八王子宿西部の鎮守として崇敬された。8月の例大祭は関東屈指とされる千貫みこしの渡御や豪華な山車の巡行で知られる。

正式名称 多賀神社〔たがじんじゃ〕
御祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都八王子市4-9-21 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 西八王子(JR中央線)
バス停:市役所入口元本郷公園東・水無瀬橋
公式サイト http://www.tagajinja.com/
南多摩地域の神社
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御由緒

多賀神社は、八王子市街地の西部12ヶ町の鎮守。享保13年(1728)鎮座地の本郷村と八王子宿西部の八幡宿・八木宿・本郷宿・千人町に久保宿・島の坊宿を加わり、ほぼ現在の氏子地域が成立したと考えられている。当時の別当は真言宗の金剛山密蔵院(廃寺)であった。

社伝によれば天慶元年(938)武蔵介に任じられた源経基が、国土豊穣・万世安穏を祈願して近江国の多賀大社より御分霊を勧請したことを創建とする。

文応元年(1260)北条時頼が国内を巡っている途中、当地で病に倒れた。そこで当社に古鏡一面を奉納して祈願すると快癒したので、奉賽として社領7反歩を寄進し、祈願所としたという。

一説には、散田村の高宰社(現・散田町5の高宰神社)の御分霊を勧請し、高宰明神と称したことに始まるともいう。元禄年間(1688~1704)別当・密蔵院住職の盛伝が京都の吉田家に赴き、「多賀明神」と称することを許されたと伝えられる。

また『新編武蔵風土記稿』は、本郷村草創の百姓・武笠米八が近江国出身であったことから、本国犬上郡の多賀明神を勧請したという伝承を記している。

享保16年(1731)別当密蔵院より出火、この時、当社本殿も焼失したとみられ、享保20年(1735)本殿が再建されている。ただし、現在の本殿はさらに後の時代のものであろうと推測されている。因みに拝殿については、正面の擬宝珠に慶応元年(1865)の銘があり、この頃の建造と考えられている。

慶応2年(1866)第二次長州征伐で将軍に供奉して従軍した八王子千人同心の神宮寺金一郎・川村豊左衛門・塩野幸七郎らが、大阪滞在中に社号額を新調し、当社に奉納した。作製は大阪在住の豊田左兵衛、揮毫は神祗伯資訓王による「多賀宮」で、八王子市の有形文化財に指定されている。

慶応4年(1868)甲州勝沼の戦いに敗れた新選組(甲陽鎮部隊と名を改めていた)は、散り散りになって笹子峠から八王子方面に落ち延び、いったん多賀明神社で集結した後、再起を図るべくそれぞれ江戸に向かったと伝えられる。

明治3年(1870)神仏分離により密蔵院から独立し、多賀神社と改称した。明治6年(1873)村社に列格、明治26年(1893)郷社に昇格。昭和8年(1933)神楽殿を建造。旧神楽殿は日吉町の日吉八王子神社に譲渡された。

8月に行われる例大祭は、千貫みこしの渡御と氏子町会から曳き出される山車の巡行で名高い。

古くは「上の祭」と称し、八王子市街東部の鎮守・八幡八雲神社の「下の祭」とともに盛大に執り行われてきた。昭和42年(1967)からは「八王子まつり」に併合され、両社に日吉八王子神社・産千代稲荷神社の山車も加え、合計19基の山車が賑やかに巡行する。

千貫みこしと称される多賀神社の大神輿は、八王子市の有形文化財に指定されている。明治15年(1882)それまでの六角大神輿に代わり、東京浅草で建造された。本体は間口・奥行ともに1.39m、高さ2.5m、重さは3,700kgで、関東屈指のものといわれる。明治末年以来、台車による巡幸が行われていたが、昭和53年(1978)70年ぶりに担いでの渡御が復活。以来、八王子まつりの名物として人気を集めている。

 

御朱印

  • 多賀神社の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は八稜鏡に「神璽」。その下に「多賀神社之印」、左下に「宮司之印」。

写真帖

  • 鳥居

    大鳥居

  • 社号標

    社号標

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 手水舎

    手水舎

  • 機守神社

    機守神社

  • 境内社

    第六天神社・日枝神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

見どころ

■大鳥居
大正10年(1921)に建立された明神鳥居。高さ5.60mで、市内の御影石の鳥居では最大のものという。

■社号標
大正11年(1922)の建立で、高さが4.60mある。揮毫は明治神宮宮司・二條實輝公爵で「郷社 多賀神社」(戦後、社格制度の廃止に伴い「郷社」の部分は埋められている)。

■手水舎
江戸末期の建築と推測されている。

■機守神社
末社の機守神社〔はたがみじんじゃ〕は、天棚機姫尊〔あめのたなばたひめのみこと〕を御祭神とし、天羽槌雄命〔あめのはつちおのみこと〕を合祀する。織物業の守護神で、かつて絹織物が盛んで桑都と呼ばれた八王子及び周辺の織物業者から広く崇敬された。
創建年代は不詳だが、一説には江戸時代の中頃、田安家の家臣が公務で当地に赴いた際、勧請したと伝えられている。現在の社殿は昭和12年(1937)の建造である。
大鳥神社・天満神社・稲荷神社・厳島神社を合祀している。

■社殿
本殿は朱塗りの一間社流造で、江戸後期の再建と考えられている。平成25年(2013)に改修が行われ、彫刻の復元・再塗装・飾り金具の新調などがなされた。
拝殿は単層入母屋造、三方千鳥破風で正面に軒唐破風向拝。江戸末期の再建と推定されている。

メモ

西八王子駅の北約800mの住宅地に鎮座する。表参道は秋川街道沿いの善龍寺と市立第二小学校の間から続く道で、かつては一の鳥居が建っていたようだ。境内は第二次大戦の戦火を免れた社殿を中心に落ち着いたたたずまいを見せている。
初めての参拝時に御朱印をいただいたのだが、声をかけると宮司さんはお出かけの準備中であった。お忙しい中にも関わらず快く対応していただき、ただただ感謝。

多賀神社の概要

名称 多賀神社
旧称 多賀明神社 多賀宮
御祭神 伊弉諾尊〔いざなぎのみこと〕
伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕
鎮座地 東京都八王子市元本郷町四丁目9番21号
創建年代 天慶元年(938)
社格等 旧郷社
例祭 8月第1土・日曜日(八王子まつり/下の祭)
神事・行事 1月1日/歳旦祭・元旦祭
2月3日/節分祭
7月7日/末社五社大祭
12月31日/大祓式・除夜祭

交通アクセス

□JR中央線「西八王子駅」より徒歩約12分、またはバス
■西東京バス楢原町・松枝住宅行き「市役所入口元本郷公園東」下車徒歩2分
■西東京バス恩方ターミナル行き「水無瀬橋」下車徒歩4分
□JR中央線「八王子駅」よりバス
■西東京バス松枝住宅行き「市役所入口元本郷公園東」下車徒歩2分
■西東京バス恩方ターミナル・大久保・宝性寺団地行き「水無瀬橋」下車徒歩4分

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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