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日野 八坂神社 | 東京都日野市

日野八坂神社

日野八坂神社は、その昔、里の老翁が多摩川の淵で牛頭天王の像を見出し、祠を建てて祀ったことに始まると伝えられる。その年代は不詳だが、応永5年(1398)に別当の普門寺が開創されている。元亀元年(1570)現社地に遷座した。日野の総鎮守で、江戸時代には朱印地14石を拝領していた。

正式名称 八坂神社〔やさかじんじゃ〕
御祭神 素盞嗚尊
社格等 旧村社
鎮座地 東京都日野市日野本町3-14-12 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 日野(JR中央本線)
南多摩地域の神社
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御朱印

  • 日野八坂神社の御朱印

    (1)

  • 日野八坂神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「惟神」ではないかと思われる。右に「日野 八坂神社」。

(2)平成28年拝受の御朱印。中央に朱印はなく、上下に新選組に因むだんだら模様が配されている。左下の印は「宮司之印」、右に「日野 八坂神社」。

境内社の御朱印

  • 八幡社の御朱印

    (1)

  • 日枝神社の御朱印

    (2)

(1)八幡社の御朱印、平成29年拝受。中央の朱印は「八幡神社御璽」、左下の印は「宮司之印」。

(2)山王社(日枝神社)の御朱印、平成29年拝受。中央の朱印は、以前御本社の朱印として使われていた印のようである(文字は「惟神」ではないかと思われる)。左下は「宮司之印」。

限定御朱印

平成29年例大祭の御朱印

  • 日野八坂神社例大祭の御朱印

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  • 日野八坂神社例大祭の御朱印

    (2)

  • 日野八坂神社例大祭の御朱印

    (3)

(1)金文字の御朱印。上下に朱のだんだら模様を配する。

(2)朱の用紙に銀文字の御朱印。上下に紺のだんだら模様を配する。

(3)鉄舟詠の御朱印、「神虎照天地 清気煙乾坤」。山岡鉄舟が新選組の幟に書いたものとのこと。

  • 八幡社の御朱印

    (1)

  • 日枝神社の御朱印

    (2)

  • 筆塚祭の御朱印

    (3)

(1)八幡社、金文字の御朱印。

(2)山王社(日枝神社)の御朱印。長月に因み兎を配する。

(3)筆塚祭の御朱印。

御由緒

日野八坂神社は日野の総鎮守で、古くは天王社・祇園社などと称していた。創建年代は詳らかでないが、その昔、多摩川の瀬から見つかった牛頭天王の像を祀ったことに始まるという伝承がある。

それによれば、日野本郷の多摩川沿いに土淵という淵があった。ある時、多摩川で洪水があり、その後数夜にわたってこの土淵で何かが不思議な光を発していた。里に住む老翁がそれを拾い上げたところ、金色に輝く牛頭天王の像であった。里人たちは非常に喜んで祠を建立し、鎮守として祀ったという。

応永5年(1398)僧儀雲によって土渕山普門寺(日野本町7、真言宗智山派)が開創され、牛頭天王社の別当となった。当時は現在より西の本宿と呼ばれる辺りにあった。

その後衰微したが、永享年間(1429~40)金剛寺(高幡不動)の権少僧都智伝が中興、社殿を造営した。さらに元亀元年(1570)甲州街道の道筋が定められたことに伴い、権少僧都清宥によって普門寺と牛頭天王社がそれぞれ現在の地に遷された。

江戸時代になると、慶安元年(1648)徳川家光が朱印地14石を寄進した。以後、歴代徳川将軍の朱印状の写しが残っている。

寛延2年(1749)拝殿を造営、さらに寛政12年(1800)本殿を再建した。現在の本殿は、この寛政年間に建造されたものと考えられている。全体に彫刻が施された見事なもので、日野市の文化財に指定されている。

幕末、日野の地は新選組と深い関わりを持った。

日野本郷の名主である佐藤彦五郎は、天然理心流3代目宗家・近藤周助の門人となり、自邸でもあった日野宿本陣の一角に出稽古用の道場を設けた。ここに近藤勇や土方歳三(彦五郎の妻・とくは歳三の姉であった)、沖田総司ら、後に新選組の中心となる人々が出稽古に訪れていた。

安政5年(1858)この道場の門人が当社に奉納した額が残っており、その中に近藤勇や沖田総司、新選組六番隊長・井上源三郎らの名が見える。この奉納額は、ひの新選組まつりと9月の例大祭に公開されている。

佐藤彦三郎は新選組を結成した近藤や土方らに援助を続け、維新後もその顕彰に努めている。

明治元年(1868)神仏分離令により普門寺と分離し、社号を八坂神社と改めた。

明治7年(1874)それまでの「祇園社」の額に替えて「八坂社」の社号額が掲げられた。文字は、佐藤俊正(佐藤彦五郎が維新後に改名。後に初代南多摩郡長となった)の願いにより、有栖川宮熾仁親王が揮毫したもの。現在、鳥居と覆殿内に掲げられている。

明治13年(1880)佐藤俊正の子・俊宣が発起人になって建造していた神輿が完成した。現在も秋の例大祭に渡御しており、「千貫みこし」として名高い。総欅造りで、総体を精緻な彫刻で飾り、その彫刻美は関東でも屈指といわれているという。

昭和36年(1961)本殿が市の文化財に指定された。本殿を保護する覆殿は過去3回改築されており、現在のものは平成9年に造営されたものである。

境内社

御朱印をいただける境内社は2社ある。

八幡社は、享保18年(1733)鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したもの。御祭神は応神天皇。大正12年(1923)境内社の厳島神社を合祀した。こちらは元禄14年(1701)江ノ島より勧請したものという。

山王社(日枝神社)の御祭神は大山咋命。由緒は記されてないが、「北原 山王社」と表示されているので、元は日野本郷の小名・北原(井上源三郎資料館がある辺り)に祀られていたのであろう。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 鳥居の社号額

    鳥居の社号額

  • 手水舎

    手水舎

  • 筆塚

    筆塚

  • 山王社

    山王社(日枝神社)

  • 八幡社

    八幡社

  • 社殿

    社殿(覆殿)

  • 社号額

    覆殿内の社号額

  • 本殿

    本殿(覆殿内部)

見どころ

■本殿
一間社流造で、棟札により寛政12年(1800)に再建されたことがわかる。間口2間、奥行き2間半、棟高5間と一間社社殿としてはかなり大型。総欅造りで、壁面は床上・床下ともに中国の故事や龍・獅子・瀧に鯉などの浮彫・透し彫を配し、さらに柱・梁・貫・高欄に至るまで彫刻を施す。江戸後期の神社建築・装飾彫刻の粋を集めた優品として日野市の有形文化財に指定されている。

メモ

JR日野駅から歩いてすぐの甲州街道沿いに鎮座する。境内に入ると、一見倉庫のような社殿が目をひくが、これは本殿を納めた覆殿で、拝殿も兼ねているようだ。

近年、新選組に因むだんだら模様の御朱印に変わり、境内社の御朱印や例大祭その他の限定御朱印も授与するようになった。境内社の改修やまちづくりとの連携など、宮司さんの積極的な取り組みが神社の雰囲気から感じられる。御朱印もその一環であろう。

御本社・境内社の他、兼務社で日野の地名の由来になったとも伝えられる日野宮神社の御朱印もいただくことができる。

日野八坂神社の概要

名称 八坂神社
通称 日野八坂神社
旧称 祇園社 天王社 牛頭天王社 八坂社
御祭神 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
〈配祀〉
櫛御気野御命〔くしみけぬのみこと〕
〈合祀〉
倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕
大山咋命〔おおやまくいのみこと〕
鎮座地 東京都日野市日野本町三丁目14番12号
創建年代 不詳
社格等 旧村社
例祭 9月15日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR中央本線「日野駅」より徒歩2分

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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