八幡神社(元八王子)

八幡神社

八幡神社は、建久2年(1191)鶴岡八幡宮の社殿が完成して正遷座が行われた際、梶原景時が御神体を拝領し、所領である当地に祀ったと伝えられる。北条氏照が八王子城を築いた際に社領を寄進。徳川家康からも朱印地10石を賜った。

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
御祭神 応神天皇
社格等 旧郷社
鎮座地 東京都八王子市3-2284 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 高尾(JR中央線・京王線)
バス停:宮の前
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御由緒

元八王子の八幡神社は、梶原八幡宮と通称され、源頼朝の家臣・梶原平三景時が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したと伝えられる。

社伝によれば、康平6年(1063)源頼義は鎌倉の鶴ヶ岡に京都の石清水八幡宮を勧請した。治承4年(1180)源頼朝は大場景義に命じてこれを小林郷松ヶ岡に遷した。

建久2年(1191)社殿の造営が完了し、正遷座が行われた際、御神体を梶原景時に賜った。そこで、当地が梶原氏の所領であったことから、鶴ヶ岡に似た現社地を選び、同年6月15日に奉斎したのが当社の創建であるという。

『新編武蔵風土記稿』には、建久2年梶原景時勧請の棟札をはじめ、寛正4年(1463)と文明17年(1485)の棟札の図が収録されているが、惜しくも戦災で焼失したという。

元亀3年(1572)北条氏照が八王子城を築いた際に社領を賜っている。天正19年(1591)には徳川家康より朱印地10石を賜った。江戸時代には元八王子村の鎮守とされ、別当は真言宗の慈眼山西明寺(廃寺)であった。

明治6年(1873)郷社に列格。

御朱印

  • 八幡神社の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は九曜巴の神紋。左下の印は「八幡神社々務所之印」。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 参道

    参道

  • 梶原杉

    御神木 梶原杉

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 五社宮

    末社 五社宮

  • 石祠

    石祠(五社宮)

  • 境内社

    天王社(八坂神社)

  • 境内社

    榛名神社

  • 境内社

    日吉山王社

  • 石祠

    石祠

  • 拝殿

    拝殿

  • 拝殿破風の彫刻

    拝殿破風の彫刻

  • 本殿

    本殿

見どころ

■御神木 梶原杉
参道の途中に切り株が残る。梶原景時が八幡宮を勧請した際に植えたものと伝えられ、樹齢約800年、高さ30m余、目通りの周囲約12mもあり、都内随一の大杉といわれたという。高さ10mのあたりから枝が下向きに垂れていたので「逆さ杉」とも呼ばれた。東京都の天然記念物に指定されていたが急速に樹勢が衰えたため、昭和47年(1972)惜しまれつつ伐採された。

メモ

八王子宮ノ前の交差点に面して朱塗りの両部鳥居が建ち、そこから社殿まで約200mの参道が続く。その途中には梶原杉の大きな切り株がある。
正面の高台に朱塗りの社殿が鎮座、社叢の緑に映えて厳かな雰囲気を醸し出す。その周囲に境内社が散在する。五社宮は右から神明社・天神社・稲荷社・機神社・荒神社が祀られている。神楽殿の脇にある祠は天王社(八坂神社)、社殿背後の高台にあるのは榛名神社と日吉山王社である。
初めての参拝は12月の下旬。御朱印は社務所でいただいたのだが、ちょうど大祓のための茅の輪を作っているところだった。お忙しいところをお邪魔した形だったが、快く対応していただいた上、神紋や由緒についてしばし歓談。楽しいひとときを過ごした。

八幡神社の概要

名称 八幡神社
通称 梶原八幡宮
旧称 八幡社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
鎮座地 東京都八王子市元八王子町三丁目2284番地
創建年代 建久2年(1181)
社格等 旧郷社
例祭 4月第3日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
11月23日/新嘗祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□JR中央線・京王線「高尾駅」より徒歩約20分、またはバス
■西東京バス宝生寺団地・美山町・陣馬高原下・高尾の森わくわくビレッジ行き「宮の前」下車徒歩3分


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