北野天満社(八王子)

北野天満社

北野天満社は、創建年代は不詳だが、横山党の一族が京都の北野天満宮から御分霊を勧請したことに始まると伝えられ、北野の地名の由来とされる。天正19年(1591)徳川家より御朱印5石を寄進され、毎年1月、徳川将軍家に武運長久の祈祷札を献上する慣例があったという。

正式名称 天満社〔てんまんしゃ〕
御祭神 菅原道真公
社格等 式内論社 旧村社
鎮座地 東京都八王子市北野町550-1 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 北野(京王線)

御朱印

  • 北野天満社の御朱印

    (1)

(1)平成20年拝受の御朱印。中央の朱印は「天満社璽」、左下は「北野天満社印」。梅花と「戊子」の印を配する。

御由緒

北野天満社は、北野村の鎮守。旧別当は元横山村の龍華山大義寺(元横山町2、真言宗)であった。

創建年代は不詳だが、武蔵七党の一・横山党の一族が京都の北野天満宮より御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。これが北野の地名の由来となったという。

天正19年(1591)から万延元年(1860)まで、徳川将軍家より5石の朱印領を寄せられた。当時は毎年1月に徳川将軍へ武運長久の祈祷札を献上する慣例があった。

寛文4年(1664)別当・大義寺の真上法印により社殿が再建された。明治13年(1880)唐破風をもった現在の社殿を造営。昭和51年(1976)には菅公千七十五年忌記念事業として銅板葺きに改修された。

昭和38年(1963)区画整理に伴い、北野石器時代住居跡(八王子市指定史跡)の遺構が天満社境内に移された。

御神宝として、寛文9年(1669)の銘がある二品良尚親王書の扁額、綱敷天神の立像(『新編武蔵風土記稿』に御神体とある)などを所蔵する。

補足

天満社の創建について、『新編武蔵風土記稿』は、関東十八代官が置かれた頃、その人々によって勧請されたという伝承を記している。しかし、天正19年に5石の御朱印領を受けたのであれば、この伝承は無理があるように思われる。

また、『武蔵演路』は当社を式内社・大麻止乃豆乃天神社に比定するが、当社自身は式内論社であることを主張していないようだ。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 手水舎

    手水舎

  • 神池

    神池

  • 古峯原神社

    古峯原神社

  • 遺跡

    北野石器時代住居跡

  • 鹽竈神社

    塩竃神社

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号額

  • 本殿

    本殿

見どころ

■塩竃神社
安産祈願の御神徳で知られ、お腹帯拝受の崇敬者が多いという。

■北野石器時代住居跡
八王子市指定史跡。昭和16年(1941)当時の市立由井第一小学校裏庭(現在地より約100m南の北野支所北西際あたり)で発見された、縄文時代後期(約4千年前)の住居跡。

メモ

京王線北野駅からすぐ、八王子市役所北野事務所の北側に鎮座する。住宅街の中にあるが、かつては田園地帯だったようだ。社殿の前は広場のようになっているが、その周囲は樹木が茂る。

普段は人がいない感じなので、七五三の御祈祷に行き会うことを期待して11月上旬の日曜日に参拝。狙いは正解で、ちょうど七五三の御祈祷の最中であった。御祈祷が終わったところで宮司さんに御朱印をお願いすると、自宅で社務所を兼ねているとのことで、そちらに移動して拝受。距離はそれほどでもないが、住宅地の中なので、案内なしにはたどり着けないだろう。なので、御朱印をいただく際は事前連絡したほうがよいのではないかと思われる。

北野天満社の概要

名称 天満社
通称 北野天満社 北野天神
旧称 天満宮
御祭神 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕
鎮座地 東京都八王子市北野町550番地1号
創建年代 不詳
社格等 式内社(論社) 旧村社
延喜式 武蔵國多磨郡 大麻止乃豆乃天神社
例祭 4月25日に近い日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭・新年祭
1月15日/塞神祭(どんど焼神事)
2月3日/節分祭
旧2月上午の日/初午祭
6月30日/大祓
7月26日に近い休日/塩竃神社例祭(夏季大祭)
12月31日/大祓
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□京王線「北野駅」より徒歩3分

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