徳持神社 | 東京都大田区

徳持神社

荏原郡徳持村の鎮守。建長年間(1249~55)豊前国の宇佐八幡宮より勧請したと伝えられる。古くは八幡神社と称し、現在の池上7丁目に鎮座していた。明治39年(1906)池上競馬場の開設に伴い現社地に遷座、明治41年(1908)稲荷神社を合祀して徳持神社と改称した。
大田区の神社

正式名称 徳持神社〔とくもちじんじゃ〕
御祭神 誉田別之大神 〈相殿〉宇迦之御魂命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都大田区池上3-38-17 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://tokumochi-jinja.tokyo-jinjacho.or.jp/
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目次

御朱印

  • 徳持神社の御朱印

    (1)

  • 徳持神社の御朱印

    (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「徳持神社」。

(2)平成26年拝受の御朱印。朱印や社号のスタンプなど平成17年のものと同じ。

御由緒

荏原郡徳持村の鎮守で、元は八幡神社と称した。旧別当は真言宗の御旗山徳乗院(廃寺)で、その山号から御旗山八幡宮とも呼ばれた。社伝によれば、建長年間(1249~55)豊前国の宇佐八幡宮より勧請したとされる。

かつては徳持の字本村(現在の池上七丁目、曹禅寺付近)に鎮座していたが、明治39年(1906)池上競馬場開設に伴い、現社地に遷座することになった。

明治41年(1908)再建、同年9月15日に上宿の稲荷神社を合祀して社号を徳持神社と改め、遷座祭を執り行った。

昭和20年(1945)空襲のために社殿等焼失、残った境内末社を本殿跡に移して奉斎した。同24年(1949)仮社殿を建設。

現在の社殿は昭和39年(1964)に起工し、翌40年(1965)正遷座祭を執行、同41年(1966)竣工奉祝祭が行われた。昭和62年(1987)には鉄筋コンクリート4階建ての神楽殿・社務所・共同住宅が完成した。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 田中稲荷神社

    田中稲荷神社

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 明治天皇御製の碑

    明治天皇御製の碑

  • 健康歩道

    健康歩道

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿

    本殿

メモ

池上駅の交差点を西に200mほど進むと徳持神社の鳥居がある。緑の多い境内で、赤い社殿との対比が鮮やかだ。
拝殿の前には「健康歩道」がある。左右に配された健康石と長寿石の周囲を結んで小石を敷き詰めた歩道があり、素足で歩いて足裏を刺激することで健康を増進し、神前に進んで健康を祈願するという趣向。なかなか面白い。
徳持神社では兼務する十寄神社・東八幡神社・久が原東部八幡神社・久が原西部八幡神社・諏訪神社の御朱印もいただくことができた。

徳持神社の概要

名称 徳持神社
旧称 八幡神社 御旗山八幡宮
御祭神 誉田別之大神〔ほんだわけのおおかみ〕
〈相殿〉
宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕
鎮座地 東京都大田区池上三丁目38番17号
創建年代 建長年間(1249~55)
社格等 旧無格社
例祭 7月20日前後の週末
神事・行事 1月1日/元旦祭
1月七草後の最初の日曜日/とんど焼き
2月二の午日/徳持田中稲荷神社例祭
3月25日/春季中祭(春祭)
6月25日/夏越大祓式
11月23日/新嘗祭
12月25日/師走大祓式
12月31日/除夜祭(年越祭)

交通アクセス

□東急池上線「池上駅」より徒歩約5分

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