第14番 盛寿山 常楽寺

14番常楽寺

名称 盛寿山 延命院 常楽寺
御本尊 弥勒菩薩
所在地 徳島県徳島市国府町延命606 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん まい たれいや そわか

【御詠歌】
常楽の岸にはいつか到らまし 弘誓の船に乗りおくれずば

【略縁起】
弘仁6年(815)弘法大師がこの地で修法を行った時に弥勒菩薩の姿を感得した。その姿を2尺6寸(約79cm)の像に刻み、これを本尊として一堂を建立したと伝えられる。後に大師の高弟で甥に当たる真然僧正が金堂を建立、高野山を再興した祈親上人が講堂や三重塔などを建立したという。境内は天然の大岩盤が急流のような景観を呈し、「流水岩の庭」として知られる。

目次

常楽寺の納経(御朱印)

  • 常楽寺の納経

    (1)

  • 14番常楽寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は弥勒菩薩の種字「ユ」に「弥勒尊」。中央の宝印は真言と思われるが内容はわからない。ほぼ同じものが江戸時代から使われている。右上の朱印は五輪塔に「四国十四番」で、ほぼ同じものが明治から使われている。左下は「盛寿山常楽寺」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年と同じもの。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで、「四国第十四番零刹」「本尊弥勒大菩薩」「阿波盛寿山常楽寺」。中央の宝印は真言のようで、現在のものと同じ構成と思われる。右上の朱印は「四国第十四番」、左下は白抜きで「盛寿山」。

(2)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで五輪塔に「奉納経」「弥勒大菩薩」「阿波常楽寺」。中央の宝印は真言で、現在のものと同じと思われる。右上の朱印は五輪塔に「四国十四番」で現在のものとほぼ同じ。左下は「盛寿山常楽寺」。

常楽寺について

山号 盛寿山(せいじゅざん)
寺号 常楽寺(じょうらくじ)
院号 延命院(えんめいいん)
御本尊 弥勒菩薩
所在地 徳島県徳島市国府町延命606番地
創建年代 弘仁6年(815)
開山 弘法大師
宗派等 高野山真言宗
文化財 〈国登録有形文化財〉本堂 大師堂

覚え書き

弘法大師が巡錫中、この地で七日間の修法を行い、弥勒菩薩が説法される姿を感得した。その姿を2尺6寸(約78.78cm)の像に刻み、本尊として一宇を建立したのが常楽寺の創建である。四国八十八ヶ所中、弥勒菩薩を祀るのはここのみで、日本三体の一つに数えられるという(残り2体は笠置山と三井寺とされる)。
大師の甥で高弟である真然僧正が金堂を建立、高野山を再興した祈親上人が講堂や三重塔、仁王門を建て伽藍を整えたという。しかし永正2年(1505)と天正13年(1585)の2度の兵火で焼失し、現在の本堂は万治2年(1659)蜂須賀光隆によって移転・再建されたものである。
境内には自然の大岩盤が露出し、あたかも急流を水が流れているかのような景観を見せている。名高い「流水岩の庭」である。
また、本堂前には大きなアララギの木がある。弘法大師が病に苦しむ老人にアララギの木を煎じて飲ませて快癒した。それを挿し木したものが根付いたと伝えられ、あらゆる病に霊験があるとされる。木の股のところに小さな石の大師像が祀られ、「あららぎ大師」と呼ばれている。
常楽寺の奥の院は延命山慈眼寺で、寺の登り口からすぐのところである。

写真帖

  • 境内

    境内(流水岩の庭)

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂とアララギの木

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