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【番外札所】真念庵

真念庵

(平成19年撮影)

真念庵は、四国霊場の札所間で最も距離が長い37番岩本寺・38番金剛福寺・39番延光寺の中間点にある。「四国遍路の父」と称される真念法師が遍路の便宜を図って建立したもので、かつての遍路は当地に荷物を置いて足摺岬の金剛福寺に向かい、その後、当地に戻って延光寺に向かったという。

名称 一瀬山 真念庵
御本尊 地蔵菩薩
本尊真言 おん かかかび さんまえい そわか
所在地 高知県土佐清水市下ノ加江市野瀬 [Mapion|googlemap]
巡拝等 四国八十八ヶ所番外札所
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納経(御朱印)

  • 真念庵の納経(御朱印)

    (1)

  • 真念庵の納経(御朱印)

    (2)

(1)平成20年拝受の納経。版木押しで「奉納經/カ(地蔵菩薩の種字)本尊地藏ササ(「菩薩」の略)/カーン(不動明王の種字)弘法大師/土佐幡夛足摺打戻/市ノ瀬山眞念庵」。中央の宝印は蓮華座上の火炎宝珠に地蔵菩薩の種字「カ」。右上は「日本第一霊場、中央上は弘法大師と「大正三年土佐眞念菴千百年紀念印」、左下は「土佐ハタ一ノセ山眞念菴」。

(2)同じく平成20年拝受の納経。版木押しで「奉納經/本尊地藏大士/土州幡夛郡市瀬山/眞念菴」。朱印は(1)と同じ。

略縁起

真念庵の名は、四国遍路の隆盛の基礎を作った宥弁坊真念の名に因む。真念法師は、二十数回四国霊場を巡拝し、各地に道標や遍路宿を建てるとともに、『四国辺路道指南』などを著し、四国遍路の普及・大衆化に努めたことから「四国遍路の父」と称される。

※真念法師の墓は昭和48年(1973)牟礼町(現・高松市)の共同墓地で発見され、同55年(1980)同町内の洲崎寺に移された。

37番仁井田五社(現在の札所は岩本寺)から38番金剛福寺、39番延光寺は四国霊場中、札所間の距離が最も長い難所である。そこで真念は、これら三つの札所の中間点で、難所・伊豆田峠を下りたところにある市野瀬に地蔵菩薩を祀る堂を建立し、遍路の便宜を図った。天和年間(1681~83)のことと伝えられる。

この堂が後に真念庵と呼ばれるようになった。かつての遍路は、この庵に荷物を置き、足摺岬の金剛福寺へ向かい、ここに戻った後に荷物を持って延光寺へ向かったという。

令和2年(2020)2月、老朽化のため改築したとのこと。また、令和元年(2019)には境内と仏像・仏具・位牌・石造物などが市の史跡に指定された。

写真帖

  • 真念庵への遍路道

    真念庵への遍路道

  • 石仏

    石仏

  • 道しるべ

    道しるべ

  • 真念庵

    真念庵

メモ

伊豆田トンネルを越えてすぐの交差点から、県道346号線(旧国道321号線)に入り、400mほど進むと真念庵への入り口がある。昔ながらの遍路道をしばらく歩くと、四国八十八ヶ所の本尊の石仏が並び、向かいに小さなお堂がある。地域の人々によって大切に守られているようだ。
納経は、近年まで登り口近くの山本ストアーで受け付けていたが、高齢のため、平成19年から近くのお宅で対応することになったという。そうとは知らず、山本ストアーの前でウロウロしているところを、新しく担当することになったご本人から声をかけられた。実は、我々(この時は二人で回っていたので)が記念すべき第一号とのことで、「初めてなので、よくわからないのだけど…」といいながら押してくださったのが、下の納経印である。
「日本第一霊場」の印の由来はよくわからない。私自身は、真念庵が、というより、四国霊場全体のことを指しているのではないかと考えている。そのほうが、四国遍路の普及に尽くした真念法師の思いにも叶っているように思われる。ともあれ、この印をいただきたいということで訪れる人の多い番外霊場である。無論、真念法師に対する強い敬愛の念もあるだろう。

真念庵の概要

山号 一瀬山〔いちのせざん〕
庵号 真念庵〔しんねんあん〕
御本尊 地蔵菩薩
所在地 高知県土佐清水市下ノ加江1227番、1229番、3068番、3070番地
創建年代 天和年間(1681~83)
開山 宥弁坊真念
宗派等  

交通アクセス

□土佐くろしお鉄道「中村駅」よりバス
■高知西南交通・足摺岬行き「市野瀬」下車徒歩約5分

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