第36番 独鈷山 青龍寺

36番青龍寺

名称 独鈷山 伊舎那院 青龍寺
御本尊 波切不動明王
所在地 高知県土佐市宇佐町竜163 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

【御詠歌】
わずかなる泉にすめる青龍は 仏法守護の誓いとぞきく

【略縁起】
大同元年(806)弘法大師は唐から帰国するにあたり、師・恵果阿闍梨の恩に報いるため、仏法興隆にふさわしい地を求めて独鈷(密教の法具)を投じると、紫雲に包まれて東の空へ飛び去った。帰国後、四国を巡錫中に当地で松の木にかかっている独鈷を見つけ、自ら刻んだ波切不動を本尊として一寺を建立した。寺号は恵果阿闍梨より教えを受けた長安の青龍寺に因んで名付けられた。

目次

青龍寺の納経(御朱印)

  • 青龍寺の納経

    (1)

  • 36番青龍寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は不動明王の種字「カーン」に「波切不動尊」。中央の宝印は法輪に不動明王の種字「カン」。右上の印は「四国第三十六番」、左下は「土佐国独鈷山青龍寺」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊不動明王」「青龍寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に不動明王の種字「カーン」。右上の印は「第卅六番」。左下は「如意山 龍宝院 青龍寺」と思われるが、「如」が「和」のようにも見える。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「不動明王」「青龍寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納経」「本殿波切不動明王」「青龍寺」。中央の宝印は円に不動明王の種字「カンマン」。右上の印は「四国第三十六番」、左下は「土佐国青龍寺」。

青龍寺について

山号 独鈷山(とっこうざん)
寺号 青龍寺(しょうりゅうじ)
院号 伊舎那院(いしゃないん)
旧称 如意山光明宝寺道場院 摩留山赤木寺龍宝院
御本尊 波切不動明王
所在地 高知県土佐市宇佐町竜163番地
創建年代 弘仁6年(815)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗豊山派
文化財 〈重文〉愛染明王坐像

覚え書き

細長い横浪半島の先端部にあり、本土との間には波静かな横浪三里が続く。今は宇佐大橋を渡るが、昭和49年に橋ができるまでは渡し船を使って渡った。宇佐の渡し(龍の渡し)と呼ばれ、弘法大師を案内した八人の船頭の子孫がその権利を守ってきたという。
寺の名は弘法大師が恵果阿闍梨〔けいか あじゃり〕より密教の秘法を受け継いだ長安の青龍寺に因む。本堂へ向かう石段の脇には、恵果阿闍梨を祀る恵果堂もある。
寺伝によれば、大同元年(806)大師が唐を出発するとき、師恩に報いるため、仏法興隆にふさわしい霊地を求めて独鈷を投じた。帰国後、この地を巡錫したときに、独鈷が松にかかっているのを見つけた。そこで嵯峨天皇に奏上し、自ら刻んだ波切不動を本尊として開創したと伝えられる。
澄禅の『四国辺路日記』によれば、独鈷山伊舎那院のほかに如意山光明宝寺道場院、摩留山赤木寺龍宝院などの名があるという。江戸時代の納経帳を見ると、文政半ばから天保初めには(1825~32)「独鈷山印」という印を使っているが、天保10年代から嘉永の頃(1840~53)の納経帳には「如意山龍宝院青龍寺(「如」は「和」のようにも見える)」という印が押してある。
青龍寺の奥の院は、国民宿舎近くにある波切不動堂(青龍寺奥の院)である。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 恵果堂

    恵果堂

  • 本堂

    本堂

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