第58番 作礼山 仙遊寺

58番仙遊寺

名称 作礼山 千光院 仙遊寺
御本尊 千手観世音菩薩
所在地 愛媛県今治市玉川町別所甲483 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.shikoku88-58senyuji.com/

【本尊真言】
おん ばざらたらま きりく

【御詠歌】
たちよりて作礼の堂にやすみつつ 六字を唱え経を読むべし

【略縁起】
寺伝によれば、天智天皇の勅願により越智守興が開創した。御本尊の千手観音は天智天皇の守護仏とされ、海から上がった龍女が一刀三礼して彫ったものと伝えられる。その後、阿房仙人が約40年にわたって修行し、諸堂を建立したが、養老2年(718)忽然と姿を消した。これに因んで仙遊寺と号するようになったという。

目次

仙遊寺の納経(御朱印)

  • 58番仙遊寺の納経

    (1)

  • 58番仙遊寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は千手観音の種字「キリーク」に「千手大士」。中央の宝印は蓮台上の宝珠に種字「キリーク」。右上の印は剣に「五十八番」、左下は「作礼山」。

(2)平成18年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊千手観世音大士殿」「いよ(伊豫)仙遊寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に千手観音の種字「キリーク」。右上の印は「五拾八番」、左下は「作礼山」。

(2)天保12年(1841)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊千手観音」「豫州作礼山」「仙遊寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊千手大士」「イヨ(伊豫)」「仙遊寺」。中央の宝印は蓮台上の宝珠に千手観音の種字「キリーク」。右上の印は剣に「五十八番」、左下は「作礼山」。

仙遊寺について

山号 作礼山(されいざん)
寺号 仙遊寺(せんゆうじ)
院号 千光院(せんこういん)
御本尊 千手観世音菩薩
所在地 愛媛県今治市玉川町別所甲483番地
創建年代 天智天皇の御代(668~672)
開山 越智守興
宗派等 高野山真言宗

覚え書き

山号の「作礼山」が通称として用いられ(『四国辺路道指南』等では「佐礼山」とある)、地元では「おされさん」と呼ばれる。
寺伝によれば、天智天皇の勅願により、越智守興が建立した。本尊の千手観音は天智天皇の守護仏とされる。海から上がった龍女が一刀三礼して彫ったものと伝えられ、山号の「作礼山」の名の由来になったという。
その後、約40年間にわたって阿房仙人が止住し、伽藍を整えたが、養老2年(718)忽然と姿を消した。仙遊寺の寺号はこれに因むとされる。弘法大師が四国を巡錫した際に伽藍を再興した。
幕末には宥蓮上人が住職となり、その徳を慕って多くの信者が集まった。宥蓮上人は明治4年(1871)に入定(生きたまま土中に埋まって永遠の禅定に入ること)した。これは日本で最後の入定であるという。
昭和22年(1947)山火事で本尊と大師像を除いて焼失した。現在の本堂は同28年(1953)の再建で、彫刻の見事な堂々たる建物である。大師堂は同33年(1958)の再建。
山門より少し上がったところには弘法大師が掘ったと伝えられるお加持水があり、水を汲みに訪れる人が多い(参拝時にも列を作っていた)。また、近くにある犬塚池は忠犬伝説で知られる。

写真帖

  • 山門

    山門

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂

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