社伝によれば、永禄年間(1558~69)北条氏康の家臣・太田新六郎が巡視中に当地で法華経曼荼羅の古碑を発掘し、これを奇瑞として八幡大菩薩を祀ったことに始まるという。現在の社殿は昭和34年(1959)の再建。境内に大鵬関の揮毫による出世石や大田区の文化財に指定されている庚申塔などがある。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 雪ヶ谷八幡神社〔ゆきがや はちまんじんじゃ〕 |
御祭神 | 誉田別命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都大田区東雪谷2-25-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://yukigaya.info/ |
御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「八幡神社」、右上に三つ巴の神紋。
(2)平成28年に拝受した書き置きの御朱印。朱印・揮毫ともに平成19年のものと同じ。
御由緒
雪ヶ谷村の鎮守。日蓮宗の照光山円長寺(南雪谷5)と雪谷山長慶寺(東雪谷5)が別当として神前に奉仕したという。
社伝によれば、永禄(1557~69)の頃、北条氏康の家臣・太田新六郎が領内を巡視していた際、当地で法華経曼荼羅の碑を発掘した。これを奇瑞として喜び、八幡大菩薩を祀ったことを創祀とする。
嘉永元年(1848)大風で社殿が大破。再建は拝殿が文久3年(1863)工を起こして明治3年(1870)落成、本殿は明治23年(1890)起工、明治28年(1895)落成したという。
ただし、『池上町史』(昭和7年)はこの時の再建について、拝殿は文久2年(1862)に起工して翌文久3年(1863)落成したものの、遷座式は行えないまま明治維新を迎え、明治3年(1870)式を行ったとする。また、本殿については明治29年(1896)の落成とする。
明治2年(1869)神仏分離により円長寺・長慶寺の管理を離れ、中延村の八幡宮(旗岡八幡神社)の神主が当社も兼任することとなった。
明治6年(1863)村社に列格。明治43年(1910)石川村の白山神社と天祖神社を合祀した。両社は現在の石川神社と思われるので、後に分祀したのであろう。
昭和20年(1945)戦災で社殿が焼失。昭和34年(1959)現在の社殿が再建された。
境内の出世石は大鵬関の書と手形が刻まれている。大鵬関はまだ序二段だった頃から当社境内で氏子の子どもたちに相撲の稽古をつけており、また、昭和34年の節分祭に年男として奉仕して以来、毎年奉仕を続けていた。後に横綱に昇進し、不世出の大横綱と称えられたが、大鵬関はこれを雪ヶ谷八幡神社の御加護の賜物と感謝し、「出世石」の書を奉納したという。
また、村内にあった7基の庚申塔が末社・猿田彦神社として祀られており、大田区の文化財に指定されている。
写真帖
メモ
東急池上線石川駅からすぐ、商店街の中に鳥居があり、緑あふれる鎮守の森がある。本殿脇の斎霊殿には地元出身の英霊や氏子の祖霊を祀る。
当社では兼務する道々橋八幡神社・田園調布八幡神社・石川神社の御朱印もいただくことができる。
雪ヶ谷八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
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通称 | 雪ヶ谷八幡神社 |
御祭神 | 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都大田区東雪谷二丁目25番1号 |
創建年代 | 永禄年間(1557~69) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月中旬の土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月3日/新年大祈願祭 1月25日/天神祭 2月2日/節分追儺式前夜祭 2月初午・二の午の日/初午祭 2月11日/紀元節祭 3月中旬/お人形感謝祭 4月第1日曜日/新入学児童安全祈願祭 4月第2日曜日/春のみたま祭 4月29日/一心泣き相撲 5月15日/五月祭 6月29日/大祓祭 7月/大祓形代流し神事 10月第2日曜日/秋のみたま祭 11月23日/新嘗祭 12月30日/大祓祭 12月31日/除夜祭 |
交通アクセス
□東急池上線「石川台駅」より徒歩約2分